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浦和地方裁判所 平成元年(わ)787号 判決 1991年3月25日

主文

被告人を懲役五月に処する。

未決勾留日数中本刑に満ちるまでの分を、右刑に算入する。

訴訟費用中証人関根均に支給した分の全部、並びに証人園部克己及び同二階堂勝に支給した分の各二分の一を被告人に負担させる。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成元年八月六日午後九時ころ、Aが、福島県いわき市<住所略>コーポむつみ七号室B方において、同人から、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する白色結晶粉末約一グラムを、有償で譲り受けた際、これに先だつ同日夕刻、Aから、同県いわき市<住所略>の当時の被告人方において、B方への案内及び同人への紹介を依頼されたのに対し、自己の面識のあるBが覚せい剤の密売人であることを知っており、かつまた、Aが、面識のないBから覚せい剤を譲り受けようとしている事実を察知しながら、右取引を容易にする意思でその依頼を了承し、同人の運転する自動車に同乗して、前記B方へAを案内し、更に、不在であったBを求めて、付近のパチンコ店「スズカン・ボウル」へ赴き、同店内にいた同人に対し、自己の同道したAを事実上引き合わせるなどし、もって、Aの前記覚せい剤有償譲受けの犯行を容易にさせて、これを幇助したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法六二条一項、覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項に該当するが、右は幇助であるから、刑法六三条、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で、被告人を懲役五月に処し、同法二一条に則り、未決勾留日数中本刑に満ちるまでの分を右刑に算入し、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、証人Cに支給した分の全部、並びに証人B及び同Aに支給した分の各二分の一を被告人に負担させることとする。

(共同譲受けの訴因に対し、譲受け幇助の事実を認定した理由)

第一  公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、Aと共謀の上、法定の除外事由がないのに、平成元年八月六日午後九時ころ、福島県いわき市<住所略>コーポむつみ七号室B方において、同人から、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する白色結晶粉末約一グラムを代金二万円で譲り受けたものである。」というのである。

第二  基本的事実関係及び争点の所在

1  当公判廷において取り調べた証拠(証拠能力に争いのあるものを除く。)によると、被告人が、公訴事実記載の日時ころ、同記載のB(以下、「B」という。)方にA(以下、「A」という。)とともに赴いたこと、及び同人方において、覚せい剤様の結晶粉末約一グラムが、BからA及び被告人のいずれか又は双方に対し、有償で譲渡されたことは、いずれも極めて明らかなところである。

2  しかし、弁護人は、(1)被告人は、Aに頼まれて、単に同人をB方に案内しただけであって、同人と共謀の上覚せい剤をBから譲り受けたことはない旨主張する一方、(2)当日Bから渡された結晶粉末が、覚せい剤であったことを立証する証拠能力のある証拠は存在しないと主張している。

3  ところで、本件において、検察官が、被告人の有罪を立証すべきものとして提出した主要な証拠は、譲渡人Bの証言(当日、被告人から、Aが覚せい剤を欲しがっていると言われ、両名を自宅へ連れていって、被告人に覚せい剤約一グラムを手渡したところ、被告人は、これをすぐAに渡したというもの)、共犯者とされるAの証言(被告人と五〇〇〇円づつ出し合ってBから覚せい剤を買うこととし、B方へ一緒に行って、約一グラムを共同で買い受けたとするもの)及び被告人の平成元年九月一日付司法警察員調書(以下、「9.1付員面」といい、検察官調書は「検面」という。)、並びに、本件の約二日後にBが提出した尿から覚せい剤が検出されたとする埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員C作成の鑑定書謄本及び同人の証言(以下、両者を一括して「C鑑定」といい、鑑定書のみを特定するときは、「C鑑定書」という。)などであるが、他に、共謀による譲受けを否認しながら、幇助の限度で不利益事実を承認する趣旨の被告人の捜査官に対する供述調書(9.7付及び9.19付各員面、9.8付及び9.20付各検面)も存在する。そのため、弁護人は、右C鑑定書及び被告人の各員面、検面の各証拠能力を争う一方、B、A証言及び被告人の各員面、検面の信用性はない旨詳細な主張を展開し、前記弁護人の主張(1)に副う被告人の当公判廷における供述を援用している。

4  他方、検察官は、論告中において、仮定的な主張としてではあるが、「百歩譲っても被告人に譲受の幇助の刑責があることは疑問の余地がない。」旨主張しているところ、弁護人は、右主張に対し、被告人には、幇助の意思すらなかったとして、幇助罪の成立をも争っている。

第三  本件における特異な事実関係

一  緒説

本件については、捜査及び公判の全過程を通じ、極めて特異な事実関係が存在し、この点を除外しては、証拠の証拠能力及び証明力を的確に評価することができないと思われるので、争点に関する判断に先立ち、まず、証拠に基づき、本件捜査及び公判の全過程を通観した上、右特異な事実関係を指摘しておくこととする。

二  公訴提起に至る経緯

1 被告人は、かつて、暴力団員DことDと同棲関係にあったところ、平成元年二月一四日、福島地方裁判所いわき支部において、「昭和六三年一二月四日、Dから覚せい剤を注射してもらって使用した」との事実で「懲役一年、三年間執行猶予、保護観察付き」の刑に処せられ、右判決はそのころ確定した。

2 その後、被告人は、かつて交際のあった暴力団関係者Tとの交際を再開していたところ、平成元年五月一五日、埼玉県警察上尾警察署(以下、「上尾署」という。)により、右確定判決を受けた事実より半年前の覚せい剤自己使用等の事実(昭和六三年六月一九日ころ、いわき市内のホテルで、覚せい剤をFに注射させて使用したなどというもの)で逮捕され、採尿の結果、尿から覚せい剤反応が出たが、右の点につき、被告人が、「五月一三日に、Eから無理矢理打たれたものである」旨弁解し、右弁解を打ち崩すだけの証拠が収集できなかったため、捜査当局は、右尿から検出された覚せい剤の自己使用の事実についての公訴提起をあきらめ、逮捕事実である昭和六三年六月の自己使用等の事実(前記確定裁判を経た罪の余罪)のみで起訴せざるを得なくなり、平成元年七月七日、被告人は、浦和地方裁判所で、再び保護観察付き執行猶予の刑(懲役一〇月、四年間執行猶予、保護観察付き)に処せられて、即日釈放された。

3 上尾署の捜査員は、右事件で逮捕した被告人の尿から覚せい剤が検出されたのに、被告人が自己使用の事実について虚偽の弁解をして不当に公訴提起及び実刑判決を免れたものと考えて、切歯扼腕し、その後も、同署の管轄外の区域であるいわき市に繰り出して、しばしば、被告人方に足を運んだり電話をかけるなどして情報収集に努め、被告人から尿を採取する機会を窺っていた。

4 平成元年八月八日、上尾署の捜査員は、Bを覚せい剤取締法違反罪(遠藤某に対する覚せい剤譲渡しの事実)の容疑で逮捕し、身柄を上尾署へ押送する途中、高速道路のサービス・エリアの公衆便所で同人から尿の提出を受けたが、その後右尿から覚せい剤反応が得られたため、同人を覚せい剤自己使用の事実で追及したところ、当初犯行を否認していた同人が、同月一六日ころに至り、本件当日(八月六日)被告人が若い男を連れてきたので、二人に覚せい剤約一グラムを有償で譲り渡したとの供述をするに至った。

5 これより先、Bの内妻から、Bが警察に逮捕されたあと、被告人が男を連れて様子を聞きにきたとの情報を得た上尾署の捜査員(G防犯課長ら)は、八月一一日、被告人方に赴いて尿の提出を求めようと考え、同日午後三時すぎころ被告人方を訪れ、尿の提出方を強く求めた末、被告人から尿若干量(その量については、争いがある。)の提出を受けたが、量が不足しているとして追加を求められた被告人は、自宅便所内で、右尿に水道水を注いで提出した(なお、右のうち、被告人が尿に水道水を注いだ理由及びその希釈の程度については、争いがある。)。

6 Gらは、右のとおり水で希釈された尿の容器を署へ持ち帰った上、八月一四日付で埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所(以下、「科捜研」という。)に鑑定の嘱託をしたが、右尿からは、覚せい剤反応が得られなかった。なお、右採尿に関する一連の手続書類(任意提出書、領置調書、所有権放棄書)は、その後「紛失した」とされて現存せず、採尿にあたって通常行われる写真撮影(採取した尿及び被告人の腕部の注射痕等に関するもの)も行われていない。

7 上尾署の捜査員は、その後八月二八日、Aとの共謀によるBからの覚せい剤約一グラムの有償譲受の事実につき、被告人の逮捕状の発付を請求し、同日大宮簡易裁判所裁判官からその発付を得たのち、九月一日午前一一時半ころ、被告人方に赴いて被告人を通常逮捕し、同日午後四時ころ、身柄を上尾署へ引致し、弁解録取等の手続のあと、被告人に対し再度尿の提出を求めてその提出を得たため、九月四日付で科捜研に対し鑑定の嘱託をしたが、右尿からも結局覚せい剤反応は得られなかった。なお、右採尿、鑑定嘱託に関し当時作成されたという手続書類も、その後「紛失した」とされて現存せず、現存する唯一の書類である採尿報告書は、約半年後に新たに作成したものであるとされている。

8 上尾署は、その後九月一一日、Aを逮捕し、同人が、覚せい剤約一グラムを被告人と共同でBから買い受けたとの供述をしたため、被告人を本件覚せい剤の共同譲受人であると認定し、これと同一の心証に達した検察官は、九月二一日、被告人に対し、前記公訴事実により公訴を提起した。

三  公判の経過

1 被告人及び弁護人は、当初から、被告人が、AからBの家を教えてくれと言われて、同人をB方に連れて行った事実はあるが、Bから覚せい剤を譲り受けたことはない旨公訴事実を否認した。当裁判所は、一八回の公判期日を重ねて、多くの証人等を取り調べてきたのであるが、右公判の過程で前記二6、7記載のとおり、再度にわたる採尿、鑑定嘱託及び鑑定の結果が明らかにされるに至るまでには、次のような不明朗な経過があった。

2 すなわち、第五回公判(平成二年二月八日)において弁護人からされた「八月一〇日ころ及び九月一日ころの各採尿及び鑑定嘱託並びに鑑定結果を明らかにする書面」の証拠開示の申立に対し、検察官は、第六回公判(同年三月八日)において、八月一〇日ころの採尿、鑑定手続に関しては、「採尿報告書、鑑定嘱託書、電話聴取書二通」のみを開示した旨を明らかにしたが(なお、第七回公判で取り調べた証人Gは、任意提出書、所有権放棄書及び領置調書は、作成したが、その後紛失してしまった旨証言している。)、九月一日ころの採尿に関する書類については、「被告人主張のころ、被告人からの採尿及び鑑定嘱託をしたか否かについて警察官から事情を聴取したが、右採尿及び鑑定嘱託は行われなかったとの由である。従って、右開示申立にかかる採尿関係の書類、鑑定嘱託書、鑑定書はいずれも存在しておらず、開示することができない。」旨釈明した。

3 しかし、当日行われた被告人質問において、被告人は、九月一日にも間違いなく尿を提出している旨明言し、弁護人も、右の点を明らかにするため科捜研に対する公務所照会の申立をしたので、当裁判所は、右申立を容れて、同日公務所照会の決定を行った上右照会をしたところ、科捜研からは、平成二年三月二三日付書面により、「平成元年九月四日、第八八六号で鑑定嘱託を受けた」旨の回答があった。

4 右回答があった日の翌日(三月二九日)に行われた第七回公判において、検察官は、前回の釈明の一部を変更し、次のとおり再釈明した。すなわち、「前回、平成元年九月一日ころの尿の提出はなかったと述べたが、被告人が前回の公判で提出があった旨強調していたこともあって、確認のため再度照会したところ、同年九月一日に被告人から尿の提出を受けており、同月四日に鑑定嘱託していたことが判明した。これらの事実がわかった段階で、検察官は、(1)平成元年九月一日付採尿報告書、(2)同月四日付鑑定嘱託書写し、(3)同月六日付尿の鑑定結果に関する電話聴取書を開示した。」と。しかし、この段階においても、検察官からは、九月一日の採尿に関する手続書類の開示はなかった。

5 そして、同日行われた証人尋問において、埼玉県警察本部防犯部保安課特捜主任で、上尾署に派遣されて本件捜査に重要な役割を果たした証人Hは、「(平成二年)三月八日よりも少し前に、検察官から、上尾署で(平成元年)九月一日に被告人から採尿したかどうかたずねられた際、記憶がなかったので、控えの記録を調査してみたが、任意提出書も所有権放棄書も出てこなかったので、採尿しなかったのだろうと考えて、その旨回答し、同席したI防犯課長、J警部、K室長らも同様の答えをしたものである。任意提出書や所有権放棄書は、紛失してしまったものと思う。採尿報告書も、当時作成したものは存在せず、今回検察官に報告したものは、最近一か月以内にL巡査が再度作成し直したものであるが、右報告書の記載中、『午後四時三〇分ころ、腕部に注射痕があること及び八月下旬ころ注射したと供述していることから尿の提出を求めた』との部分は、事実に反する。当時、被告人には新しい注射痕も見当らず、太ってもいたし、本人も注射していないと言っており、自分も、尿から覚せい剤反応は出ないだろうと考えていた。」旨証言するに至った(第七回公判調書速記録三二五丁以下)。なお、本件捜査の実質上の指揮者であるG証人は、第八回公判(四月一一日)において、自分は、九月一日の採尿の事実を知らなかった旨証言した(速記録三八八丁)。

6 他方、被告人は、公判開始後身柄拘束のまま審理を受けていたが、当裁判所は、本件に関する真相を解明し実体的真実を明らかにするには、相当の日時を要するが、その間被告人の身柄の拘束を続けるのは相当でなく、B、Aら主要な関係者がいずれも身柄拘束中であって罪証隠滅のおそれも小さいと判断したところから、Aの証人尋問が終了した段階(平成元年一二月二八日)で、厳重な指定条件を付し、かつ、高額な保証金の納付を条件として保釈を許可する決定をしたが、右決定は、検察官の抗告を容れた抗告審決定により即日取り消され、Bの証人尋問が終了した段階(平成二年一月一一日)で行った第二回目の保釈決定も、抗告審において再度取り消された。

7 そのため、当裁判所は、その後も身柄拘束のまま審理を進めたところ、前記のとおり、採尿等に関する捜査官側の不明朗な態度が判明し、重ねて、被告人の前歯の齲蝕が進行して健康状態の悪化が憂慮されるに至ったため、これらの点を考慮して三度目の保釈決定をしたが、検察官は、右決定に対しても、強硬な意見を付して抗告の申立をした。しかし、右決定に対する検察官の抗告は、抗告審において棄却されたので、被告人は、四月三日、逮捕後約七か月ぶりに、漸く身柄を釈放されるに至った。

8 その後、当裁判所は、争点に関する慎重な審理を遂げた上、公判開始後一年一月(起訴後一年三月)にして、事実審理を終結したものである。

四  捜査・公判の各経過から明らかな捜査官側の態度

1 これまで指摘したところから明らかなとおり、被告人は、覚せい剤取締法違反罪(自己使用罪等)により、二回執行猶予付きの判決を受け、現在、右いずれの刑についても保護観察中という特異な立場にあり、本件につき有罪判決を受ければ、法律上実刑を免がれず、前二回の執行猶予も取り消されることが確実である。従って、被告人が、何とかして本件による処罰を免れようとして虚偽の弁解をするということは、もちろん考えられないことではなく、証拠の評価にあたっては、右の観点からする警戒を怠ってはならないであろう。

2 しかし、他方、本件においては、前記のとおり、捜査官の側にも、前回(平成元年五月)、折角逮捕して尿の覚せい剤反応まで確認することができた被告人を、結局右事件では起訴することができず、被告人が不当に実刑を免れてしまったという思いが強く、右の件に関する悔しい気持から、何とかして再度被告人を逮捕して起訴し実刑判決に追い込もうとする意気込みで、捜査にあたっていたものと認められ(本件捜査を遂行した前記H、G両警察官はもとより、両事件の捜査に主任検事として関与したM検察官も、前件につき公訴提起できなかったことで悔しい思いをしたことを、率直に認めている。)、このような気持や意気込みが行きすぎると、えてして、捜査遂行上、違法・不当な方法がとられ易く、また、公判段階でのその発覚を防止するため、姑息な手段で表面を糊塗したいという気持に陥り易いことが危虞される。

3 従って、本件のような捜査経過をたどった事件において、被告人と捜査官の供述が対立している問題に関しては、前記1のような被告人の心理ばかりに注目してその供述の信用性を一方的に疑うのは相当でなく、捜査官の側にも、右2指摘の事情があることにかんがみ、その供述の信用性を慎重に吟味する必要があるのは、当然のことである。

4 そして、既に指摘したとおり、本件における上尾署の捜査員は、被告人の尿の採取・鑑定嘱託の手続等に関し、少なくとも、甚だ明朗を欠く不当な処理をしたことが明らかであって、右は、前記2指摘の危虞が現実化したことの証左であると考えざるを得ない。

5  すなわち、本件の捜査にあたったH、Gら警察官の証言によると、

(1)  八月一一日の採尿に関する任意提出書、所有権放棄書及び領置調書は、いずれも作成されたが、その後紛失して現存しない。

(2)  九月一日の採尿に関する任意提出書、所有権放棄書、領置調書及び採尿報告書も、その後紛失して現存しない。現存する採尿報告書は、平成二年三月になってから、新たに作成し直したものである。

(3)  右(2)記載の採尿報告書中、被告人の注射痕を現認したとの部分及び被告人が八月下旬ころの注射の事実を自認したとの部分は、事実に反する記載である。

(4)  平成二年三月ころ、検察官からの問合せに対し、九月一日には採尿しなかった旨答えたのは、右の点に関する記憶がなく、記録も残っていなかったため、誤った応答をしてしまったものである。

とされているところ、右各証言を額面通りに受け取ったとしても、本件捜査には、手続上極めて杜撰な処理がされていたことが明らかである。

6 従って、覚せい剤事件の捜査に関し、かかる杜撰な処理をしている警察官の証言に、どれ程の信が措けるかについては、慎重な検討が必要となることが明らかであるが、右(1)ないし(4)に関するH、G証言中、採尿関係の書類の紛失及び検察官に対する事実に反する報告に関する部分は到底これを信用することができず、右両名は、少なくともこれらの点に関し、ことさらに事実に反する供述をしている疑いが濃厚であるといわなければならない。

7  まず、採尿関係の書類が紛失したとする部分であるが、覚せい剤事件の処理上、採尿関係の書類が重要な意味を有することは、捜査のプロである警察官(特に、覚せい剤事件を繰り返し手がけている上尾署の本件捜査員ら)がこれを知らない筈はなく、このような重要な書類が、捜査官の手もとで紛失するというようなことは、余程特別な事情でもなければ、通常想定し難いことである。しかるに、H・G証言によると、このような稀有の事態が、特段の事情もないのに、本件では、短期間内に二回も繰り返されたということになるのであって、そのような証言は、到底世人を納得させるものではあり得ない。従って、上尾署の捜査員は、二回にわたる採尿の際、法規を無視して右手続書類を作成しなかったのでなければ(このような事態は、常識上にわかに想定し難いというべきであろう。)、後刻、尿から覚せい剤が検出されなかったことを知って、右採尿・鑑定嘱託の事実を隠ぺいするため、ことさらに右手続関係の書類を破棄又は隠匿してしまった疑いが極めて強いといわなければならない。

8  次に、検察官に対する事実に反する報告の理由については、いっそう問題が深刻である。なぜなら、覚せい剤事件の捜査においては、所持、譲受け等の事実で逮捕した被疑者からも、逮捕直後に採尿するというのが、通常の捜査方法である上、本件においては、上尾署が、被告人の再検挙及び起訴への持込みに執念を燃やしていたという事情があるのであるから、起訴後半年を経過しない時点で、検察官から逮捕直後の採尿の有無の問合せを受けながら、この点に関する記憶がないとか、記録が手もとになかったので採尿しなかったと思い込んでそのように応答するなどということは、常識上到底考えられないことである。特に、記録がなかったという点については、かりに任意提出書等が捜査官の手もとになかったとしても、科捜研への鑑定嘱託書は紛失していなかったというのであるから、右書面を一べつしさえすれば、科捜研への尿の鑑定嘱託の事実(従ってまた、その前提となる被告人からの尿の採取の事実)が、たちどころに明らかになった筈である。また、万一かりに、右嘱託書が、その時点では、他の書類の中に紛れ込んでいたとしても(そのような事態は、容易に想定し難いが)、念のため、鑑定嘱託書の発出の有無を帳簿によって確認することは極めて容易な筈であるから、通常の捜査官であれば、ことが、公判段階における検察官からの問合せに対する応答であって、誤りを許されない性質のものであることにかんがみ、当然、右帳簿による事実の確認をすると思われ、県警本部から派遣中の捜査のベテランであるHや、上尾署のI課長ら複数の捜査官が、揃いも揃って右のような一挙手一投足の労を惜しんだ上、検察官に対し、思いちがいによって、事実に反する報告をしたと考えるのは、いかにしても不合理である(なお、公判立会検察官が、このように明らかに不合理で常識に反する警察官の報告を深く疑おうとせず、これを真に受けてそのまま法廷に取り次いだ態度も、不可解というほかない。)。また、本件捜査の実質上の指揮者であるGが、いかに当日不在であったにせよ、九月一日の被告人からの採尿の事実を、その半年後に証人として喚問されるまで「知らなかった」とする点も、本件捜査において同人が重要な役割を果たしていたこと等に照らし、到底首肯し得ないというべきである。

9  これらの点からすると、上尾署の捜査員は、(1)被告人からの再度にわたる採尿にあたり、任意提出書や所有権放棄書、領置調書等、訴訟法上当然作成すべき手続書類を作成しなかったか、後刻故意にこれを破棄・隠匿し、(2)九月一日採取の尿の科捜研への鑑定嘱託の事実の有無に関する検察官からの問合せに対し虚偽の報告をして右採尿の事実を隠ぺいしようとし、(3)後刻作成した九月一日の採尿に関する報告書にも、ことさらに虚偽の記載をし、(4)しかも、これらの点を公判廷で追及されるや、これを単なる過失として言い逃れようとしている疑いが極めて強いというべきである。

10 もっとも、右の点については、本件では、覚せい剤自己使用の事実が公訴事実として掲げられていないことを重視し、捜査官には、被告人の尿の採取の事実及び右尿の鑑定結果を隠ぺいする実益に乏しいとして、前記一連の行動を過失とするH、G証言を支持する向きもあり得るかと思われるが、後記のとおり、八月一一日又は九月一日の時点で各採取された被告人の尿から覚せい剤が検出されたか否かは、本件公訴事実を立証すべきB・A証言の信用性に影響するところが大きいので、捜査官に、右鑑定結果を隠ぺいしたいという気持が働かなかったと考えるのは常識に反する。

11  以上、詳細に指摘したとおり、本件捜査・公判の過程には、弁護人も指摘するとおり、なり振り構わず、何が何でも今回は被告人を起訴・有罪・実刑に追い込まないではおかないという捜査官の執念及びそれの具体化としての捜査官の違法・不当な捜査遂行行為、更には公判廷における偽証と疑われてもやむを得ない首肯し難い証言などを容易に看取することができるのであって、右の点は、被告人と捜査官の供述が対立する場面においては、捜査官側の供述の信用性を大きく減殺する事情として働くものというべきである。

第四  C鑑定書の証拠能力について

一  緒説

1 C鑑定書は、平成元年八月八日に逮捕されたBが、警察車両で上尾署へ身柄を押送される途中、高速道路のサービス・エリアの便所で採取・提出した尿につき、上尾署が科捜研に鑑定嘱託し、科捜研技術吏員Cが、上司の命を受けて鑑定した経過及び結果を書面にとりまとめたものである。本件においては、Bの手からAら(正確には、「A」又は「A及び被告人」の意であり、以下、同様の意味に用いる。)の手に渡ったものが覚せい剤であったことを科学的に立証すべき直接証拠は存在しないから、もし右鑑定書の証拠能力が否定されることになれば、本件公訴事実の立証はその基盤から崩壊することになる。

2 ところで、弁護人は、C鑑定書の証拠能力が否定されるべき理由として、(1)右鑑定書は、本件訴因と関連性がない、(2)右鑑定書は、(ア)「鑑定の経過及び結果を記載した書面」ではなく、また、(イ)「鑑定人が作成したもの」でもないから、刑訴法三二一条四項所定の書面にあたらない、(3)鑑定の対象物たる尿が任意に提出されたものでなく、また、右提出についてBと警察官との間に取引が介在した疑いがあって、右尿の押収手続は違法であるから、右鑑定書は、違法収集証拠として証拠能力を否定されるべきであるなどと主張している。そこで、以下、右各主張につき、検討を加える。

二  本件鑑定書は本件訴因と関連性がないとの主張について

1 本件鑑定の対象物は、Bの尿であって、取引物件そのものではない。従って、右鑑定書が本件訴因事実の立証上有する関連性が直接的ではなく間接的であることは、これを率直に認めなければならない。

2 しかし、Bは、当公判廷において、「当時、覚せい剤を常用してシャブぼけのような状態であったが、被告人がAを連れてきた八月六日ころには、覚せい剤の手持ちがなく、Eから一〇グラム入手して、そのうちの一グラムを被告人に渡し、その残りを八月八日に逮捕されるまでに一〇回位使ったところ、強くはないが効き目があった。当時、他の人物から覚せい剤を入手したことはない。」旨供述している。そして、本件鑑定書は、八月八日に逮捕されたBの尿から覚せい剤が検出されたというものであるから、右鑑定書は、右B証言が基本的に信用できるものである限り、同証言を媒体として、間接的に本件取引の対象物が覚せい剤であったことを立証し得るものというべきである。

3 もっとも、弁護人は、Bの供述には、捜査段階以来変遷があり、内容的にも不合理であるとか、同人が他の入手先を隠ぺいして虚偽の供述をしている疑いがあるなどとして、同人が逮捕される直前に使用していたものが、本件取引の対象物の残りであるとするB証言の信用性を争うが、本件当日、Bにおいて、譲り渡すべき覚せい剤の持ち合せがなかったことは、わざわざEから入手した上でその一部を渡したという同人の当日の行動から優に窺われる。そして、Bは、その後、右覚せい剤の残りで一〇回位注射し、逮捕当日その残量を所持していたが、逮捕される前に便所に流してしまった旨具体的な供述をし、右供述は、同人が逮捕された際覚せい剤を全く所持していなかったという事実により、一部裏付けられている。確かに、B供述中、本件取引の状況等に関する部分については、重大な変遷等が存在し、これを全面的に措信することの危険であることは、弁護人が主張するとおりと思われるが、このことの故に、同供述中、客観的証拠に支えられ一貫性もある前記部分(ただし、覚せい剤約一グラムを渡した相手が被告人であったか否かの点を除く。)の信用性についてまで疑いを生ずるということにはならない。

4 従って、本件鑑定書の証拠としての関連性を否定する弁護人の主張は、これを採用しない。

三  刑訴法三二一条四項所定の書面にあたらないとの主張について

1 まず、弁護人は、刑訴法三二一条四項が、捜査官の嘱託による鑑定受託者作成にかかる書面にも準用されるとの実務上の見解が、もはや動かし難いものであるにしても、①鑑定人の人選が裁判所により公正に行われることを前提として鑑定書に高度の証拠能力を付与した同項の立法趣旨は、尊重されなければならないこと、②本件鑑定書の作成者Cは、捜査機関と同一の警察組織に属する公務員で、同人が自らの良心に従って独立に鑑定に従事すべき制度的保障はないことなどを指摘して、本件鑑定書は、同項にいう「鑑定人の作成したもの」にあたらないと主張する。

2 しかし、Cは、同じく警察組織に属するとはいっても、捜査機関とは組織上明らかに区別された独立した研究所の技術吏員であって、同人の鑑定業務の遂行が、捜査機関の意向によって左右されるおそれがあるとは認められない(現に、同人は、捜査機関が、覚せい剤の検出を熱烈に期待したと思われる被告人の尿の鑑定嘱託に対し、いずれも消極の鑑定結果を回答しているのである。)。

3 次に、弁護人は、本件鑑定書には、鑑定の経過や判断のプロセスの記載がないから、右は、刑訴法三二一条四項所定の書面にあたらないというが、本件鑑定書には、やや簡略ながら、鑑定の手法、経過の記載があり、特に、最も重要なガスクロマトグラフ質量分析検査の結果については、測定結果についてのチャートも添付されており、これらの記載を手がかりに、鑑定結果の正確性を事後的に検証することは可能であると認められるから、本件鑑定書は、「鑑定の経過」に関し、同項の要求する最少限度の記載を具備していると認められる

4 以上の理由により、この点に関する弁護人の主張は、これを採用しない。

四  違法収集証拠の主張について

1 逮捕当日、Bが当初容易に尿の提出に応じなかったのに、前記サービス・エリアの便所内において尿を提出するに至った事実からみて、その間に、捜査官からBに対し、相当程度、尿提出に関する説得が行われたであろうことは、これを推測するに難くなく、また、Bが尿を提出することを決意した動機の一つに、覚せい剤を使用している自己の内妻を警察に見逃してもらいたいという気持があり、このことを警察官に持ちかけたことは、同証人の明言するところである。

2 しかし、関係証拠によって窺われるBの尿採取に関する問題点は、結局、右の限度に止まるのであって、Bの尿の採取にあたり、右尿の鑑定書の証拠能力を否定しなければならない程の重大な違法行為が行われた疑いがあるとまでは認められない。

3 従って、この点に関する弁護人の主張も、これを採用しない。

第五  被告人の捜査段階の供述の任意性等について

一  緒説

本件の捜査段階において作成された被告人の捜査官に対する供述調書(事実関係に関するもの)は、員面三通(9・1付、9・7付、9・19付)及び検面二通(9・8付及び9・20付)の計五通であるが、そのうち、Bからの覚せい剤譲受けの事実を認めたものは、9・1付員面だけであり、その余は、譲受けの事実を否定する内容のものである。しかしながら、右否認調書は、いずれも、一定の限度において不利益事実を承認する内容のものであり、被告人の公判廷における供述とは、趣旨を異にしているところ、弁護士は、後記のとおり、自白を内容とする9・1付員面はもとより不利益事実の承認を内容とするその余の員面、検面も、すべて任意性に欠けるものである旨主張しているので、以下、この点について検討することとする。

二  任意性に関する弁護人の主張

弁護人は、(一)被告人の捜査段階における警察官に対する供述調書は、(1)黙秘権や弁護人選任権の告知がないまま、(2)威嚇、暴行、脅迫、不当な差別待遇のもとに、(3)捜査官の創作により読み聞けもされずに作成されたものであり、また、(二)検察官に対する供述調書も、警察官による不当・違法な圧力の影響を遮断する努力を怠った状態のまま、被告人に対し終始冷淡な態度をとり続け、その反論を無視し、供述のニュアンスを変えて作成されたものであって、いずれも任意性がないことが明らかであると主張している。

三  被告人に対する取調べ及び供述調書作成の各経過の概要

関係証拠(特に、被告人、証人H、同G及び同Nの当公判廷における各供述、留置人名簿並びに留置人出入簿<ただし、上尾警察署長の捜査関係事項照会回答書添付のもの>など)によると、被告人に対する取調べの経過の概要は、次のとおりであったと認められる。すなわち、

1 上尾署の捜査員(Hら)は、かねて発付を得ていた被告人に対する逮捕状(本件共同譲受けの事実に関するもの)を携えて、平成元年九月一日午前一一時半ころ被告人方に赴き、在宅した被告人に対し、逮捕状を示して逮捕する旨告げた上、直ちに身柄を上尾署に押送し、同日午後四時ころ、同署に到着した。

2 Hは、直ちに同署補導室で、被告人から弁解を聴取して弁解録取書を作成するとともに、事実関係に関する簡単な供述調書を作成したが(右供述調書は、前記のとおり、簡略ながら、共同譲受けの事実を認める趣旨のものである。)、その前後いずれかの時点で、被告人の同意を得て採尿することとし、同署便所内で容器に排尿した被告人から、右尿の任意提出を受けた。

3 翌九月二日、検察官に身柄を送致された被告人は、検察官の弁解聴取に対し、譲受けの事実を否定する陳述をし、その直後の勾留質問でも、同旨の陳述をした(なお、右弁解録取書及び勾留質問調書は、証拠申請されていない。)

4 同月四日午前中、Hは約一時間半にわたり被告人を取り調べたが、被告人が事実関係を否定するので、簡単な身上関係の調書のみを作成した(右供述調書は、弁護人が不同意の意見を述べたため、検察官が申請を撤回した。)。

5 同月七日午前中約二時間半の取調べにより、Hは、事実関係に関する一四枚の供述調書を作成した。

6 その翌日(同月八日)、浦和地検のM検察官(以下、「M検事」という。)は、約一時間ないし二時間の時間をかけて被告人を取り調べ、事実関係に関する実質一六枚の詳細な供述調書を作成した。

7 同月一三日午前中、約二〇分にわたり保安課のO警察官が、同月一四日午後、一時間弱にわたり前記Gが、また、同月一八日午前中約三〇分間再びGが、それぞれ被告人に対する取調べを行ったが、右各取調べの際は、供述調書は作成されていない。

8 同月一九日、Oが、午前中約二時間にわたって被告人を取り調べ、実質三枚の供述調書を作成した。

9 同月二〇日、M検事は、再び被告人を取り調べ、約一時間ないし二時間をかけて、実質九枚の供述調書を作成した。

四  被告人の警察官に対する供述調書の任意性について

1 取調べの経過に関する被告人の供述の要旨は、概ね、弁護人が、最終弁論において、詳細に指摘しているとおりであるが(弁論要旨五三頁ないし六六頁)、念のため要点を掲げておくと、まず、黙秘権、弁護人選任権の告知状況に関するそれは、

(1) 警察官の取調べ(弁解録取の手続を含む。)においては、取調べ期間中、黙秘権を告げられたことは一度もなかった。

(2) 警察官からは、弁護人選任権も告げられていない。Hからは、九月一日に上尾署で、「弁護士は必要ないな。」「いらないな。」「頼まないな。」などと言われただけである。

(3) もっとも、九月二日の検察官(P副検事)の弁解録取及び九月八日の検察官(M検事)の取調べにおいては、黙秘権及び弁護人選任権の告知を受けた。

(4) 接見禁止はついていなかったのに、しばらくは母に手紙も書かせてもらえず、「書かして下さい。」と頼んでも、「今は忙しいから。」と言われ、封筒や便せんをもらえなかった。

(5) 起訴される少し前に、ようやく母に電話することを許された。母は、私が覚せい剤をやっていると思い込んでいたので、「やっていないし、尿からも出ていない。」と訴えると、Gが受話器をとって、「お母さん、弁護士頼んでも今回は駄目ですよ。」「終るまでに一〇〇万以上かかるし、助からないですから。」と言って、電話を切ってしまった。

というものであり、次に、取調べ状況及び供述調書作成状況に関するそれは、

(6) 逮捕当日、上尾署へ押送される車中及び上尾署において、警察官から「否認するな。」「否認するんだったら面倒見ない。」「今回は検事が怒っているからよく謝れ。」「今回は、五月の件も起訴する。」「どうせこの件で否認しても、前の尿から出ているから、それで起訴するから。」「どっちみち、今度は二つを起訴されて重くなる。」「否認したら重くなる。」「どんなにしても実刑だ。」などと言われた。

(7) 九月一日、逮捕の現場においても、Hの取調べの際も、譲受けの事実を否認したが、Hは、ほとんどこちらの事情を聞かないまま、しかも、私の述べたこととはちがう事実を記載し、読み聞けもしないで署名指印を求めた。自分は、Aが捕まればわかることと思い、撤回する力もなかったので、言われるまま署名指印した。

(8) 九月七日、Hの取調べの際、タバコを吸わせてもらっていたが、やってきたGに、吸っているタバコを取り上げられて消されてしまい、その際、プラスチック製の定規で頭をはたかれた。当日の調書についても、読み聞けはなかった。

(9) 九月八日、M検事は、頭から私が嘘をついていると決めつけ、何か言おうとしても、「いいから、いいから、そうむきにならないで。」と言って弁解を聞かず、警察調書をめくりながら調書を作成した。調書は読み聞かせてもらったが、検事が弁解を全然受けつけてくれなかったので、警察と検事はつるんでいると思ってあきらめ、署名指印した。右調書にも、私が実際言っていないことがいくつも挿入されている。

(10) Gは、調書は作成していないが、一〇日間位の間に三回位私を取り調べ、「認めれば一年位ですむ。」「どっちみち起訴されるから認めろ。」「検事さんも、認めれば一年位で済ましてくれると言っている。」「俺はお前のことを思って言っているんだ。」「母親が認めろと言っている。」「いわきに帰って来たら再逮捕があるから、こっち(上尾市)で全部終らせて、上尾署から刑務所に行かせてくれというようなことを母親が言っている。」「母親は、私(被告人)がいなくても、一家だんらん夕食をおいしく食べている。」などと言って自白を迫った。

(11) 運動の時にも、タバコは吸わせてもらえず、便秘薬の箱にマジックで、「梅毒、アホ、馬鹿、うそつき、死ね」などと書かれ、仮歯が取れてしまったので、歯医者に連れていって欲しいと頼んでも、連れていってもらえなかった。

(12) また、Gには、「お前が否認するんだったら、お母さんをこっちまで呼んで調書を取る。」「お前が認めるんだったら、お母さんも大変だから向うに行って調書取るけど。」「認めないんだったら、近所、私の周りの人に、調べて歩く。」「親がかわいそうだろう。」「俺たちは、別に構わないんだから。」などとも言われた。

などというものである。

2  これらの点に関するH、G、M各証言は、概ね、右供述を否定し、取調べは適正に行われたもので、黙秘権・弁護人選任権の告知をしたのはもちろんであり、被告人の言うような不当な言動に及んだことはなく、各供述調書は、いずれも読み聞けの上被告人の署名指印を得たものであるとするものである。

3  被疑者の取調べは、取調室という密室内で行われるので、その状況を知るものは、原則として、当該被疑者と取調官及びその補助者以外にはいない。従って、かりに密室内で違法・不当な取調べが行われたとしても、もし捜査官側が、口を合わせてこれを否定する供述をする限り、被告人が自らの供述のみによって、違法・不当な取調べの存在を立証することは、容易なことではない。しかし、このように、被告人側を、ほとんど防禦の方法を与えないに等しい状況のもとに置きながら、その供述が捜査官の供述と抵触し他にこれを支えるべき証拠がないというだけの理由により、これを排斥するのは相当でない。このような事実認定の方法が許されることになると、密室内において行われた不正義(違法・不当な取調べ)を被告人側が自白のもとにさらすことができないまま、無実の被告人が不当に処罰されるという事態の発生を防止し得ないと思われるからである。近時、そのような問題意識に基づき、「捜査の可視化」が提唱され、少なくとも、被疑者の取調べ時間等については、留置人出入簿等の簿冊類により比較的容易に把握し得るようになったが、それ以上の可視化(例えば、取調べ状況のテープ録音、弁護人の立会の許可等)の提案は、捜査官側に容易に受け容れられそうもない。そこで、現状においては、従前どおり、取調べ状況に関する被告人及び取調官の各供述を対比し、その信用性を比較的検討するほかないのであるが、もともと、自白の任意性については、これに疑いがないことについても、訴追側が立証責任を負担しているのに、捜査官において、取調べが適正に行われたことを客観的に明らかにすべき可視化の方策を講じていないことなどにかんがみ、右各供述の信用性の比較検討は、特に慎重、かつ、厳密に行う必要がある。

4 そこで、右の前提のもとに、本件における被告人と捜査官の各供述を比較してみるのに、被告人の供述は、前記のとおり甚だ具体的で一貫性があり、その内容もかなり特異であって、被告人が、体験もしないのにこれをねつ造して供述するのは、困難ではないかと考えられる上、取調べの経過の概略は、のちに取り調べられた留置人出入簿等客観的証拠によっても裏付けられており、その他の部分の中にも、一部関係者の供述に裏付けられているものがある(例えば、前記(5)の母との電話でのやりとりは、Qの証言とほぼ符合している。また、(4)の母との往信を妨害されたとの点につき、H証言は歯切れが悪いが、一部これを裏付ける趣旨にとれないわけではないし、N証言に現れた捜査官側の態度によっても首肯されるところである。)。

5  次に、右被告人の供述を否定する捜査官の供述について考えてみるのに、警察官が、被疑者の供述をろくに聴取もしないで勝手に調書を作成し、読み聞けもしないで署名押印を迫るとか、黙秘権や弁護人選任権の告知もしないで取調べを行うなどということは、わが国の警察官の一般的水準からみて、あり得ないことのように考えられないことはなく、そのような違法行為を否定するH・G証言は、一見高度の信用性を有するようにも思われる。しかし、前記第三、二ないし四において詳細に指摘したとおり、本件の捜査・公判の各過程において、上尾署の捜査員は、一見常識的には考えられないような重要な違法(採尿関係の書類の破棄・隠匿、鑑定嘱託の有無についての検察官への虚偽報告、事後新たに作成した採尿報告書への虚偽記載など)をあえて行っているかその疑いが強いのであって、このような違法をあえて行う捜査員の行動については、前記のようなわが国の捜査官の一般的水準を前提とした常識的な判断は、必ずしも妥当しない。従って、被告人の供述を否定するH・G証言が、一見常識に合致するように思われるということから、右各証言の信用性が高いと考えることはできない。

6  また、本件捜査に関する前記第三、二記載の特異な事実関係を前提とすると、被告人の供述に現れた捜査官の異常な自白しょうよう行為は、決してあり得ないものではないように思われる。すなわち、上尾署の捜査員は、前回(平成元年五月)の検挙事実につき、被告人が言い逃れをして不当に処罰を免れたと考え、被告人の再逮捕に執念を燃やした末、七月七日に被告人が釈放されたのち約一月の間に、何度も、本来の管轄区域外の遠隔地にある被告人方を訪れたり、電話で探りを入れたりして情報収集につとめたが、遂に、本件当日(八月六日)に被告人が若い男性を伴って、覚せい剤の密売人であるB方を訪れた事実を突き止め、同人の供述に基づき被告人を逮捕するに至ったものであって、被告人を覚せい剤事犯の常習者と確信する捜査当局の目からみれば、B方へAと同道した事実を認めながら、譲受けの事実を頑強に否定する被告人の供述が、証拠上明白な事実に異を唱える虚構のものに思えたとしても、不思議ではない。そして、このようにして、捜査官が、被告人に対し確固とした黒の心証を抱いてしまうと、右心証と抵触する被告人の弁解を虚構のものとして一蹴し、被告人の供述に謙虚に耳を傾けることなく、ただ、やみくもに自白のしょうように走るということは、大いに考えられるところである。本件においても、H・Gらが、右のような心理に支配され、前回の無念さを晴らしたいとの気持も手伝って、被告人の供述するような不当な言動により、自白のしょうように走った疑いは、これを否定することができないというべきである。

7  以上の検討によると、被告人に対する上尾署捜査員の取調べは、被告人の供述するような違法・不当な方法で行われた疑いがあるといわなければならず、その結果作成された員面は、いずれも、任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定されるべきである。

8 もっとも、右の結論に対しては、当裁判所の事実認定を前提としても、法律論として、なお異論を唱える向きがあるかもしれない。例えば、(1)黙秘権の告知の欠如については、黙秘権を告知しなかったからといって、直ちに自白の任意性を疑うべきではなく、特に、被告人が、既に刑事裁判の経験を二度も有し、被疑者に黙秘権があることを知悉していたとみられる本件では、右告知の欠如は、供述の任意性に影響せず、また、被告人に対し、九月二日には、検察官及び裁判官から黙秘権告知が適切に行われているのであるから、少なくとも、同日以降に作成された員面については、黙秘権不告知が供述の任意性に影響することはあり得ないとする反論が考えられ、また、(2)弁護人選任権の不告知については、被告人の供述に現れたHの言によっても、不十分ながら弁護人選任権の告知がされたとみるべきであるということのほか、黙秘権の場合と同様、被告人が右権利を知悉していたこと及び検察官による右権利の告知による瑕疵の治癒などが主張され得ると思われる。更に(3)被告人の供述に現れた捜査官のその余の言動は、必ずしも適当ではないにしても、このことから直ちに供述の任意性に影響を及ぼす程のものではないとの見方とか、(4)このような取調べにもかかわらず、被告人は、九月二日以降は、被疑事実である覚せい剤譲受けの事実を否認しているのであるから、少なくとも、右否認供述と取調官の前記の言動との間に因果関係はないとの見解なども、あり得ないではないと思われる。

9  そこで、以下、これらの見解についての検討を示しておくと、まず、反論(1)については、確かに、黙秘権の告知がなかったからといって、そのことから直ちに、その後の被疑者の供述の全ての任意性が否定されることにはならないが、被疑者の黙秘権は、憲法三八条一項に由来する刑事訴訟法上の基本的、かつ、重要な権利であるから(同法一九八条二項)、これを無視するような取調べが許されないことも当然である。そして、刑訴法は、捜査官による被疑者の取調べの必要と被疑者の右権利の保障の調和を図るため(すなわち、取調べによる心理的圧迫から被疑者を解放するとともに、取調官に対しても、これによって、取調べが行きすぎにならないよう自省・自戒させるため)、黙秘権告知を取調官に義務づけたのであって、一般に、右告知が取調べの機会を異にする毎に必要であると解されているのは、そのためである。従って、本件におけるように、警察官による黙秘権告知が、取調べ期間中一度もされなかったと疑われる事案においては、右黙秘権不告知の事実は、取調べにあたる警察官に、被疑者の黙秘権を尊重しよとする基本的態度がなかったことを象徴するものとして、また、黙秘権告知を受けることによる被疑者の心理的圧迫の解放がなかったことを推認させる事情として、供述の任意性判断に重大な影響を及ぼすものといわなければならず、右のような観点からすれば、本件において、被告人が、検察官や裁判官からは黙秘権の告知を受けていることとか、これまでに刑事裁判を受けた経験があり黙秘権の存在を知っていたと認められることなどは、右の結論にさして重大な影響を与えないというべきである。

10  次に、前記反論(2)について考えるのに、被疑者の弁護人選任権は、刑訴法三〇条に基づく、やはり基本的、かつ、極めて重要な権利であるが、特に、身柄拘束中の被疑者のそれは、憲法三四条によって保障された憲法上の権利でもあって、最大限に尊重されなければならない。そして、刑訴法は、身柄拘束中の被疑者の弁護人選任権の右のような重要性にかんがみ、捜査官が被疑者を逮捕したり逮捕した被疑者を受け取ったときなどには、その都度必ず被疑者に弁護人選任権がある旨を告知させることとし(二〇三条一項、二〇四条一項)、更に、特定の弁護士を知らない被疑者に対しては、弁護士会を指定して弁護人の選任を申し出ることをも認めるとともに、右申出を受けた捜査機関に対し、弁護士会への通知義務をも定めるなどして(二〇九条、七八条)、被疑者の右権利行使に万一の支障の生じないように配慮しているのである。従って、右権利の告知は、当然のことながら、明確に、かつ、わかり易い表現でされなければならず、いやしくも、被疑者に右権利行使を躊躇させるようなニュアンスを感じさせるものであってはならない。そのような観点からみる限り、Hが被告人に告げたとされる「弁護士は必要ないな。」「いらないな。」などという言葉が、弁護人選任権告知の意味を持ち得ないことは明らかであろう。また、捜査官による右権利の不告知は、黙秘権不告知の場合と同様、当該捜査官に被疑者の弁護人選任権を尊重しようという気持がなかったことを推認させる。そして、本件においては、現実にも、被告人の弁護人選任の動きを積極的に妨害するような(又は、そう思われても仕方のない)不当な言動があった疑いのあることは、前記(四1(5)、6)のとおりである。このようにみてくると、被告人に対し、検察官や裁判官からは弁護人選任権の告知があったこと及び被告人が右権利の存在を現に知っていたことを考慮しても、Hら警察官の右権利不告知及びその後の言動は、被告人の警察官に対する供述の任意性を疑わせる重大な事由であるというべきである。

11 次に、前記反論(3)に対する再反論は、いっそう容易である。被告人の供述に現れたHやGらの言動の中には、前記四1(12)のように、明らかに被告人に対する脅迫とみられるものもある上(被告人が、母親の信頼を裏切る結果となったことを心苦しく思っていたことは容易に推察されるから、そのような被告人にとって、母親が更に上尾署まで呼び出されて取り調べを受けるという事態は、かなりの心理的重圧であったと思われるし、更に、近所の人の取調をも行われるということは、堪え難いことであったであろう。)、同1(6)(10)の母親の言を伝えるものは、偽計にあたる疑いが強い。その他、右(6)(10)記載のその余の一連の言動は、それが文言どおりの意味では、直ちに脅迫、偽計にあたらないとしても、被疑者を不当に落胆させ、また、事実を認めれば本当に刑を軽くしてもらえるのではないかと思い込ませる効果を有する、甚だ適切を欠くものであったといわなければならず、前記脅迫、偽計とみられるしょうよう行為とあいまち、供述の任意性に重大な影響を及ぼすというべきである。

12 最後に、前記反論(4)について考えると、確かに、被告人は、九月二日の取調べ以降、警察官に対しても検察官に対しても、自らの譲受けの事実を否認する供述をしているが、AをB方に案内したのは、覚せい剤の譲受けを希望するAをBに紹介してやるためであったとする点で、譲受けの事実の認定上も不利益に働き得る事実を認めたとされているのであり、右供述が、前記のような警察官の違法・不当な一連の取調べによって引き出されたものであるから、右供述と警察官の言動との間には、もとより因果関係の存在を否定することができないというべきである。

13  以上、詳細に検討したとおり、右反論(1)ないし(4)は、いずれも前記7記載の結論を左右するものではあり得ない。従って、被告人の警察官に対する各供述調書は、前記7記載のとおり、いずれもその任意性に疑いがあるというべきである。

五  被告人の検察官に対する供述調書の任意性について

1  一般に、被疑者の警察官に対する供述調書の任意性に疑いがあるときは、検察官において、被疑者に対する警察官の取調べの影響を遮断するための特段の措置を講じ、右影響が遮断されたと認められない限り、その後に作成された検察官に対する供述調書の任意性にも、原則として疑いをさしはさむべきである。なぜなら、一般の被疑者にとっては、警察官と検察官の区別及びその相互の関係を明確に理解することは難しく、むしろ両者は一体のものと考えるのが通常であり(本件被告人は、これまでの経験により、両者の関係を一応理解していたとみられるのに、検察官の態度から、両者は「つるんでいる」と考えたという。)、特に、被疑者が、検察官への送致の前後を通じ、起訴前の身柄拘束の全期間中、代用監獄である警察の留置場に身柄を拘束されている本件のような事案においては、単に取調べの主体が警察官から検察官に交代したというだけでは、警察官の取調べによって被疑者の心理に植えつけられた影響が払拭されるとは考えられず、右影響を排除するためには、検察官による特段の措置(例えば、被疑者の訴えを手がかりに調査を遂げて、警察官による違法・不当な言動を発見し、警察官に対し厳重な注意を与えるとともに、身柄を拘置所へ移監するなどした上で、被疑者に対し、今後は、そのような違法が行われ得ない旨告げてその旨確信させ、自由な気持で供述できるような環境を整備することなど)が必要であると考えられるからである。

2  そこで、右の見解のもとに、本件におけるM検事の取調べの態度・方法について検討するのに、まず、同検事は、警察段階と異なり、被告人に対し、黙秘権及び弁護人選任権は、これを告知したと認められるが、右は、法律上要求される当然の義務を尽くしたというにすぎず、これだけでは、前記の意味における特段の措置を講じたことにならないのは、当然のことである。そして、同検事は、その取調べを行った当時、警察官が前記のような違法・不当な言動に出ていることに気付いておらず、これを是正すべき措置を何ら講じていないのであるから、そのことだけから考えても、被告人の検察官に対する本件各供述調書の任意性を肯定することは困難であるといわなければならない。

3 のみならず、被告人の供述によると、同検事は、警察の調書をめくりながら取り調べ、被告人が事実がちがうと訴えても、「いいから、いいから、そうむきにならないで。」などといって、まともに取り合ってくれなかったとされている。もっとも、右の点につき、同検事は、これを否定するとともに、むしろ、警察の調書は予めメモを取り、これを頭に入れておいた上で、右調書を離れて、被告人に事実関係を順次確認しては、その都度調書にまとめていったものであり、「警察で何か不満とか、殴られたり蹴られたりとか、調べが強かったということはないか。」とも聞いている旨証言している。当裁判所は、かりに同検事が、右のような取調べ方法をとったとしても、結局のところ、警察の違法を探知・是正することができなかった以上、検察官調書の任意性に関する結論に変りはないと考えるものであるが、同検事の右証言は、①前回(平成元年五月)の事件で、被告人の尿中から覚せい剤が検出されながら、結局、被告人を起訴に持ち込めなかった点で同検事が悔しい思いをしていた旨認めていること、②前回の事件を含む一連の捜査の経緯に照らし、同検事は、本件に関し被告人が虚偽の弁解を言い張っていると確信していた疑いが強いこと、③同検事は、せいぜい一、二時間以内の取調べ時間中、所用で中座したり電話で取調べを中断したことがたびたびあった旨認めており、取調べが落ち着いた雰囲気のもとに行われたものでなかったと認められるのに、右取調べにおいて作成された供述調書は、実質一六枚又は九枚というかなりの分量のものであること、④九月八日付検面の冒頭には、被告人の警察段階の供述に変遷があるのに、「詳しいことは、刑事さんに話して調書に取ってもらったとおりです。」との記載があること、⑤取調べ状況に関する被告人の供述は、前記三記載のとおり、全体として、信用性が高いと認められることなどの諸点に照らし、これを全面的に信用することはできず、少なくとも、同検事の取調べ方法が、被告人の弁解に謙虚に耳を傾け、警察での取調べにおいて違法・不当な手段が用いられていないかどうかを真剣に聞き出そうとする態度に欠けるものであったことは、これを否定すべくもないと考えられる。

4  以上の理由により、当裁判所は、被告人の検察官に対する各供述調書も、その任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定されるべきであると解する。

六  Nの警察官に対する供述調書について

1 検察官が、刑事訴訟法三二八条所定の書面として申請したNの員面に対しては、弁護人が、右は、Nの供述に基づかない単なる捜査官の作文にすぎないとの理由で取調べに異議を述べたが、当裁判所は、弁論終結前の段階で、Nと捜査官の各証言の信用性につき裁判所の最終的な見解を示すのは妥当でないと考え、最終判断を留保した上で、ひとまずこれを取り調べた。

2 右Nの員面中に、同人の公判証言と一部矛盾する記載(被告人が、警察に尿を取られたから逃げたいと言って、東京の叔父さんのところに二日くらい行ったとの部分)が存することは、検察官の指摘するとおりである。しかし、右の点につき、Nは、公判廷において、警察官に対し右のような供述をしたことはないと思うとして、自分が述べたことと異なる趣旨の供述調書に署名・指印してしまった理由について詳細な供述をしているところ、右供述に現れた警察官の言動は、既に指摘した本件捜査に関する警察官の一連の違法・不当ないし不明朗な行動を前提として考えると、十分あり得ることと思われるので、右証言の信用性は、にわかに否定し難いといわなければならない。

3 そうすると、Nの員面中証言と矛盾する部分は、同女が供述調書に任意に署名・指印したため、これを同女の供述でないとまではいえないにしても、その信用性には疑いを抱かざるを得ず、いずれにしても、同女の公判証言を弾劾するものとして、さしたる証拠価値があるとは思われない。

4 従って、右Nの員面は、本件公訴事実の存否の判断において、これを重視する必要のないものである。

第六  B・Aの各証言及び被告人の供述の各信用性について

一  緒説

1 本件において、前記のとおり、覚せい剤譲受けの事実を概括的に認める被告人の9・1付員面の証拠能力を否定すべきものとすると、譲受けの事実につき被告人を有罪と認め得るか否かは、B・Aの各公判証言の信用性判断のいかんにかかることになる。

2 右両名は、いずれも本件公訴事実と同旨の事実(Bは、被告人及びAに対する覚せい剤の有償譲渡、Aは、被告人との共同によるBからの有償譲受けの各事実)につき公訴を提起されたものであるが、両名とも、自己の公判において起訴事実を全面的に認め、当公判廷における証言当時、Bは既に有罪の確定判決を受けて服役中、Aは判決待ちの状態であった。ところで、右のうち、Aは、当公判廷において、前記のとおり、被告人と共同してBから覚せい剤を有償で譲り受けた旨、概ね公訴事実に副う具体的証言をし、また、Bも、右A証言と必ずしも一致はしないが、趣旨において共通するとみる余地のある証言をした。そして、右各証言は、いずれも被告人の面前でした被告人に不利益な内容のものである上、被告人自身も、本件当日、Aを同道してB方を訪れ、同人から覚せい剤が譲り渡される現場にも同席した事実を認めていること及び被告人のこれまでの覚せい剤関係者のかかわり方等からみて、一見高度の信用性があるように考えられよう。

3 しかし、右各証言の内容を仔細に検討すると、その中には、弁護人が詳細に指摘するとおり、信用性評価の上で看過し難いと思われるいくつかの重要な問題点が含まれていることがわかる。

4 当裁判所は、本件共同譲受けの事実の立証が、専ら右両名の供述の信用性如何にかかっており、被告人が、捜査段階以来、ほぼ一貫してこれと抵触する供述をしていることにかんがみ、右各証言の信用性について、慎重に検討してみることとした。

二  証拠上明らかな事実

B証言、A証言及び被告人の供述の間には、相互に重要なくいちがいがあるが、少なくとも、以下の事実については各供述のくいちがいもなく、証拠上極めて明らかなところと考えられる。すなわち、

1 被告人は、かってDことD(以下、「D」という。)と同棲していた昭和六三年末ころ、当時から覚せい剤の密売をしていたB方に、Dと一緒に赴いたことが何回かあり、Bと顔を合わせ会話を交わしたこともあった。

2 これに対し、Aは、覚せい剤事犯の前科前歴がなく、Bとの面識・交際もなかっただけでなく、被告人とも、以前一度顔を合わせたことがあるだけであった。

3 平成元年八月六日夕刻、被告人は、前日久しぶりに会ったAの車に同乗して、折からの台風の中を外出し、同人とともにB方に赴いたが、同人が不在であったため、パチンコ店「スズカン・ボウル」へ行き、同所で同人を発見した。

4 同店で、被告人又はAのいずれかから(いずれからであったかについては、争いがある。)覚せい剤の入手方を依頼されたBは、他の第三者と電話で連絡をとって手配した上、A運転の車で被告人とともに「○ハイツ」のそばまで行き、同所で単身下車して、Eと思われる男から覚せい剤約一〇グラムを入手し、引き続きAの車で帰宅した。

5 A及び被告人の両名がB方に上り四畳半の間で待っている間も、Bは、入手した右覚せい剤を小分けして、約一グラムのパケを作り、四畳半の間で、両名のいずれかに渡した(いずれに渡したかについては、争いがある。)。

6 そのあと、Aが、右覚せい剤の水溶液を作り、同人又は被告人が、これを同人の腕に注射した(右両名のいずれが注射したのかについては、争いがある。)。

7 被告人は、その後、Aの車に同乗して帰宅した。

8 翌七日、Bから電話連絡を受けた被告人は、Aの所在を探したが、所在が判明せず、その後、Bとともに探したりもしたが、結局、Aを発見することができなかった。

9 当日夜、Aが被告人方を訪ねてきたため、被告人は、翌日同人とB方へ行くことを承諾し、翌八日二人でB方へ行ったが、折から、B逮捕のために来ていた上尾署の警察車両が同人方付近の路上に駐車中であるのを認め、危険を察知してそのまま帰宅した。

10 同日夜、再びAの来訪を受けた被告人は、またも同人と同道してB方に赴き、Bの内妻から、Bが逮捕されたことを聞かされた。

以上のとおりである。

三  B・A証言及び被告人の供述の各概要

1 B・A証言及び被告人の供述の各概要は、弁論要旨中に摘録されているとおりであるが(弁論要旨四〇頁ないし四一頁、二四頁ないし二七頁、七七頁ないし七八頁)、これを要するに、

(1) B証言の要旨は、「スズカン・ボウル」で被告人から「Aが覚せい剤を欲しがっている。」と言われ、途中でEから約一〇グラムを入手して帰宅し、うち一グラムを小分けして被告人に渡し、被告人はすぐにこれをAに渡した、当日、Aは、その場で覚せい剤を注射したように思う、というものであり、

(2) A証言の要旨は、前日来、被告人に覚せい剤を買わないかとか、代りに買う人を探してくれと頼まれていたので、当日被告人方に行き、車中で、「他に買う人がいないので自分が買う。」と言い、共同で買うことにしてB方に赴いた、そして、「スズカン・ボウル」でBを発見したあと、同人方に行き、同人から、約一グラムの覚せい剤を代金一万円で共同で買い受けたが、帰りの車中でこれを半分づつに分けた、当日、B方では、被告人はBに注射してもらい、自分は被告人に注射してもらった、翌日(七日)も翌翌日(八日)も、被告人方で、右覚せい剤を一緒に注射した、というものである。

(3) これに対し、被告人の供述の要旨は、Aに覚せい剤を買わないかとか、買う人を探してくれと頼んだことはない、八月六日は、Aに「B方を教えてほしい。」と電話で頼まれて、嫌だったが付き合うことにし、同人をB方に案内し、不在だったので、頼まれて「スズカン・ボウル」にも一緒に行ってやった、しかし、同人が覚せい剤を買おうとしていることがわかったのは、「スズカン・ボウル」で同人がBに話しているのを聞いてからであり、その後、B方へ同道したのは、台風で路が悪く、帰りの足がなかったからである、B方では、自分はそっぽを向いて座っていたので、よくわからないが、BがAに覚せい剤を渡した気配がし、見てはいないがAは注射したように思う、というものである。

2 これによると、被告人の供述とA証言は、覚せい剤を買い受けた者が誰かの点を中心として、顕著な対立を示していることが明らかであるが、BとAの各証言の間にも看過し難い矛盾・対立がある上、B・Aの各供述自体が、捜査段階以来、種種変遷していることが、証人尋問の過程で明らかにされており、特に、A証言については、他にも、客観的証拠との抵触等の重要な問題点をも指摘することができる。

以下、これらの点について、順次検討する。

四  B・A証言の信用性判断に関する基本的留意事項

1  本件における訴因事実の立証上最も重要な役割を果たすべきA証言は、被告人と共犯(共同正犯)の関係に立つと目される者の供述である。このような立場にある者は、えてして、第三者を巻き込んで自己の刑責の軽減を図ろうとすることがあると指摘されているのであり(最一判平成元・六・二二刑集四三巻六号四二七頁、最二判昭和四三・一〇・二五刑集二二巻一一号九六一頁各参照)、右証言については、右の指摘を念頭に置いて、その信用性の吟味を特に慎重に行うべきことは、当然のことである。

2  しかも、同人は、右証言当時、自己の事件につき判決待ちの段階で、本件犯行につきどのような役割を果たしたかの事実認定につき、重大な利害関係を有する立場にあった。のみならず、かりに同人が、右証言当時においては、自己の事件に関する処分結果に関心を抱いていなかったとしても、少なくとも捜査段階において、自己の刑責の軽減を図って他人に刑責を押しつけたいという心境になることは、初めて被疑者として身柄を拘束され連日厳しく追及されるという衝撃的な体験をした当時二二歳の若い男性にとって、ある意味では当然の成行きであり、一旦捜査官に対し、第三者を主とし自己を従とする供述をしてその前提で事件処理をされた者が、右第三者の事件の証人として尋問された際、従前と異なる証言をすることにより不利益な処分(例えば、偽証罪による追及)を受けることを懸念して、できるだけ捜査段階の供述を維持しようと考えるのも、あり勝ちなことと考えられる。

3  従って、A証言については、それが、右のような微妙な立場にある共犯者の証言であることを、まずもって十分意識して、その信用性を慎重に評価する必要がある。

4  他方、Bも、広義の共犯者(必要的共犯)ではあるが、B証言については、A証言の場合と同様の意味における巻込みの危険性があるわけではない。しかし、同人の場合は、(1)被告人の供述によって自己が逮捕されたと考えて、捜査段階以来、被告人に対し、激しい敵意を燃やしてきたこと、及び、(2)本件当時同人が、覚せい剤の連用によるシャブぼけに近い状態にあって、記憶が定かでなかったことを、いずれも認めているという特殊事情がある。

5  従って、右両名の証言の信用性の評価には、とりわけ慎重な態度が要求されるのは当然であって、(1)両証言を対比対照する必要があるのはもとより、(2)その合理性の有無、(3)捜査段階以来の供述の変遷の有無・程度、(4)客観的証拠との抵触の有無など、種種の角度から、その信用性を吟味・検討する必要があるというべきである。

五  B・A証言の矛盾・対立点

1 A証言は、前記のとおり、被告人から覚せい剤の譲受人を探して欲しい旨頼まれて、結局自分が買うことにした旨、自己が従犯的立場にあることを強調するものであるのに対し、B証言は、被告人から「Aが覚せい剤を欲しがっている。」旨告げられたというのである。もし、被告人が、A証言にあるように自ら同人と共同して覚せい剤を購入したいと考えていたのであれば、何も初対面のAを引き合いに出すまでもなく、Bに対し、自ら覚せい剤が欲しい旨端的に申し込めば足り、当然そのような行動に出ると思われるから、右B証言は実質的にA証言と矛盾するものというべきである(もっとも、右B証言は、被告人の供述よりも被告人に不利益なものであるが。)。

2 覚せい剤の受け渡しの状況につき、A証言は、Bが、Aと被告人の間に置いたとするのに対し、B証言は、「甲に手渡し、甲がAに渡した」とする。覚せい剤譲受けの事実の核心的部分である目的物の受渡しの状況につき、何故にこのようなくいちがいが生ずるのかは不明であるが、A証言については、あくまで「共同の譲受け」であることを強調するためではないかとの危ぐを払拭し切れない。他方、右B証言は、右1記載の供述部分と一応平仄は合うものの、B証言に関する前記のような問題点(前記4(1)(2))を考慮すると、この点についても一抹の不安を拭えず、右受け渡しの状況は、むしろ、被告人が供述するように、「BからAへ直接」であったのではないかとの疑問も残るというべきである。

3 A証言では、B宅において、「被告人は、Bに注射してもらい、自分は被告人に注射してもらった。」とされているが、B証言では、「被告人には覚せい剤をやらせていない。Aが水溶液を作るところは見ているが、実際に注射するところは見ていない。」とされている。被告人が現場で覚せい剤を注射したという点は、本件の公訴事実とはされていないが、本件共同譲受けの訴因事実の認定上重要な意味を有する間接事実である。右の点につき、被告人に敵意を有すると思われるBが明確に消極の証言をし、被告人の供述を裏付けているのに、Aのみがこれを肯定していることは、いささか奇異の感を免れない。

4 また、取引の対象物である覚せい剤の代金がいくらであったのかについてすら、右両名の証言は一致していないが(後記七3及び一二2(2)参照)、この点は、右両名の証言又は少なくともそのうちの一方に、重大な欠陥があることを示唆するものといえよう。

六  A証言の不自然性

1 A証言によると、被告人は、何か月か前に一度会ったことがあるだけで、初対面同然のAに対し、八月五日にいきなり、「覚せい剤を買わないか。」とか「買う人を紹介してくれ。」と頼んだというのであるが、右は、弁護人も指摘するとおり、当時、覚せい剤取締法違反罪で再度保護観察付き執行猶予の判決を受けて釈放されたばかりの二三歳の女性の行動としては、余りにも大胆不敵なものというべく、いかにも不自然である。そもそも、被告人が、自分で覚せい剤を注射したくてその入手を希望していたのであれば、何も、Aに買い受けを勧誘したり、買受人の紹介を依頼する必要はなく、自らBのもとへ赴けば足りるのであるから、被告人が、第三者との共同譲受けを希望していたというA証言は、右の点からみても、不自然なものというほかはない(被告人が手許不如意のため、第三者との共同購入を希望したということも、全く考えられないことはないが、本件においては、Aは、結局代金を支払わずに帰ってしまったとされているのであって、右事実経過を前提とする限り、被告人が、Aを同道したことは、「被告人自身が覚せい剤を入手する」という観点からは、何ら意味もなかったことになる。)。

2 A証言中、八月六日当日被告人方に赴いた理由の部分も、明らかに不合理である。すなわち、同証言によると、同人は、前日被告人から「ネタ買わないか。」と言われても、当日被告人と会うまでは、自ら覚せい剤を買うつもりはなかったが、前日、「明日行く。」と約束していたので、ただ約束を守って行っただけであるというのであるが(第三回公判調書速記録九丁、三七丁、四五丁)、当日、いわき市付近は、大型台風(一三号)の影響下で天候が大荒れに荒れており、道路の通行不能箇所も多発して、自動車による交通が難渋していたこと(現に、Aは、被告人方に達するのに、ふだんなら一〇分か二〇分位で行けるのに、一時間もかかったという。)からみて、同人が、単に「前日約束した。」というだけの理由で、右のような苦労を押してまで被告人方に行くというのは、理解し難い行動である。しかも、同証言によると、同人は、その後、右のような悪条件の中を、女友達から借りた車に被告人を乗せて覚せい剤の共同譲受けのために、B方を訪れたことになるのであって、右のような行動は、その証言とは逆に、同人が、被告人を通じて何とかして覚せい剤を入手したいと考えていたことを強く示唆するものといわなければならない。

七  A証言の不明確性及び変遷について

1 A証言は、重要な点について、極めてあいまい、かつ、不明確である上、捜査段階以来一貫しない点が少なくなく、そのような観点からも、これが真実の体験を率直に供述したものであるかどうかに疑問を抱かざるを得ない。

2 まず、同証言は、(1)B方で被告人が同人に注射をしてもらった際、どちらの腕に注射したかわからないとし、(2)本件の翌日及び翌翌日、被告人方において、三回にわたって一緒に覚せい剤を注射した際、被告人が、注射器や注射針をどこから取り出したか全くわからないとしているが、「一七歳の時に一度覚せい剤の注射をしたことがあるだけでその後は一度も経験がない」というAにとって(A証言速記録五六丁)、(1)のB方における注射は強烈な体験であった筈であるから、同人が真実右情景を目撃しているとすれば、これを鮮明に想起することができると考えるのが常識的であるし、(2)についても、右(1)に引き続く強烈な体験であるから、同人は、注射器などを取り出したという被告人の挙措動作を興味津津と眺めていた筈であり、さして広くもない被告人の部屋のどこから道具を取り出したか全くわからないというような供述は、そのこと自体から、真実の体験供述であるかどうかに疑問を提起する点であるといえよう。

3 覚せい剤の代金に関する同証言は、いっそうあいまいである。同人は、被告人の要望を容れて、本来欲しくもない覚せい剤を共同購入することとしたというのであるから、被告人との間で、代金及び覚せい剤の分配方法について、明確な話合いがあって然るべき筈であり、真実、被告人と覚せい剤の共同購入の相談をしたというのであれば、代金の取り決めに関する証言があいまいになるというようなことは、通常、あり得ない筈である。しかるに、この点に関するA証言は、当初の主尋問段階では、「行きの車中で、五〇〇〇円づつ一万円分買う。」という約束をしていたが、帰りぎわにBに「一万円」と言われ、「一万円づつ出すんだな。」「その位ならいいや。」と思って帰ったというものであったところ、弁護人の反対尋問の段階では、Bに「一万円」と言われたとき、「全部で一万円で、自分が被告人の分も払うことになるのだが、それでもいい。」と思ったが、その後、警察に捕ってから、実は代金は二万円だと教えてもらったという供述に変化し、その言わんとする趣旨は、甚だあいまいである。(1)五〇〇〇円づつ出し合って一万円分買うということと、(2)各自一万円出して二万円で買うこと、更には、(3)代金一万円のものを、Aが全額支払って買うということとは、それぞれ全く意味が異なるのであって、当初(1)の約束であったのが、(2)又は(3)に変化しても、Aがこれに全く異を唱えなかったということも、いささか理解し難いことであるし、Bの言をどのように理解したかについての証言が、主尋問と反対尋問で大きく変化していることも、不自然といわなければならない。

4 右代金の取り決めに関する、車中での被告人とのやりとりに関し、Aの供述には、捜査段階以来変遷があることが、証人尋問の過程で明らかにされている。すなわち、同人の9.16付検面では、当初被告人から「五〇〇〇ぐらい何とかなるか。」と言われて「何とかなる。」と答えたとされていたのに、9.19付員面では、被告人から、当初「一万ある。」と聞かれ、金をあてにされると考えて、「五〇〇〇円ぐらいなら大丈夫だ。」と答えたとされており、右9.19付員面の供述は、公判段階でも維持されている。しかし、右の点は、弁護人も指摘するとおり、これから買おうとする覚せい剤の代金負担に関する重要な点であって、「五〇〇〇円」という金額が被告人の口から出たのかAの方から出たのかについて、しかく簡単に思いちがいを生ずるとも思えないから、わずか三日の間に、何故に重要な供述の変化が生じたのかについて合理的な説明がされない限り(本件では、合理的な説明がされていない。)、右の点も、A証言の信用性を疑わせる有力な一事由というべきである。

八  A証言の客観的証拠との矛盾・抵触ないし裏付けの欠如について

1 A証言によると、被告人は、本件当日(八月六日)B方において一回、翌七日被告人方において一回、翌八日同じく被告人方において二回の計四回、同人とともに、本件譲受けにかかる覚せい剤を使用したとされているが、右最終使用日とされる日の三日後である八月一一日に被告人方で採取された被告人の尿からは、覚せい剤が検出されておらず、また、右A証言が真実であるとすれば当然確認されて然るべき真新しい注射痕が被告人の腕部に存したことを示す客観的証拠は存在しない。これらの点は、A証言の信用性を根底から揺り動かす重要性を有すると思われるが、検察官は、被告人の尿から覚せい剤が検出されなかったからといって不自然ではないと主張しているので、以下、右の点について、やや詳しく検討を加える。

2 まず、検察官は、被告人の尿から覚せい剤が検出されなかったのは、被告人が、「わずかな尿に多量の水」を加えてしまったからである旨主張している。確かに、被告人が、一旦尿を容器に採取して提出し、警察官から量が少ないと言われて再度便所に入った際、右尿に水道水を注いで増量したことは事実であるから、当初の尿があとから注がれた大量の水により著しく希釈されたときは、尿中の覚せい剤が検出不能になることもあり得ないことではないと思われる(第九回公判におけるC証言は、尿の量が「たとえば一〇〇分の一とか、そういうふうになった場合」には、検出に大きく影響することが考えられるとしている。速記録四八二丁)。

3 そこで、被告人が当初容器に採取・提出した尿及びその後これに注いだ水の各量がどの程度であったのかについて検討すると、被告人は、容器の底に約一センチメートルの尿を採取したあと、ほぼこれと同量の水を加えたとしており(第六回公判)、母親のNは、当初、容器の底に八ミリメートルないし九ミリメートル位入っており、水で増量されたあとの液の高さは、当初の三倍位になっていたとの趣旨の証言をしている(第八回公判)。これに対し、この点に関するG証言は、これと大きく異なり、当初被告人が提出した尿の量は「0.3ccくらい」で「容器の底にくっ付いているという程度」であったのが、水で増量されたあとは、容器の五分の一位になっていたというものである(第七回公判)。従って、もしこの点に関するG証言が信用し得るものであるとすると、右尿から覚せい剤が検出されなかったのも、「不思議でない」ということになろう。

4 しかし、本件においては、既に詳細に指摘したとおり(第三、三、四参照)Gら捜査官が、被告人からの再度の採尿の事実をいずれも隠ぺいしようとして手続関係の書類を破棄・隠匿したり、内容虚偽の捜査書類を作成したり、検察官に対し虚偽の報告をしたりしている各疑いが強いのであり、右の一事から考えても、この点に関するG証言に高度の信用性を認めることはできない。そして、本件においては、いずれにしても、当時の採尿の経緯を明確にすべき書面が一切存在しないのであり、このように、採尿にあたり当然作成すべき(そして、現に通常当然に作成されている)手続書類(任意提出書、所有権放棄書、領置調書のほか尿に関する写真撮影報告書等)の不存在が捜査官の作為又は少なくとも重大な過誤によることの明らかな事案においては、右各書類の不存在による不利益を被告人に帰するのは、明らかに相当でないというべきである。従って、この点に関するG証言は、これを軽軽に信用すべきでない(なお、ここで、被告人が、一旦提出した尿の増量を求められた際、これを水で希釈してしまった理由について考えると、右は、一見、被告人による罪証隠滅行為であるかのように考えられないではないが、被告人が、真実、不当に罪を免れたいと考えていたのであれば、断固採尿を拒否する行動に出るか、当初から、水で著しく希釈した尿を提出した方が効果的であったと思われ、本件における被告人の行動<一旦採尿して、ともかくもその提出に応じたのち、増量を求められて、初めて水で希釈したというもの>は、罪証隠滅を図ったものとしては、いささか稚拙にすぎる感を抱かせる。これに対し、被告人が公判廷で供述する希釈の理由は、令状もないのに、余りしつこく尿の提出を求められたので、頭に来てやったというものであり、右供述は、二度目の執行猶予の判決後も、警察官からしつこくつきまとわれ、その挙げ句、令状も示されずに、またも尿の提出を求められた被告人の立場を前提にすると、理解できないものではない。従って、水による希釈の理由を、被告人が罪証隠滅を図ったものであると即断するのは相当でない。)。

5 そこで、次に、尿提出の経緯に関する被告人及びNの各供述を前提として、右尿から覚せい剤が検出されなかったことの意味について考えてみる。右の点につき検察官は、体内に摂取された覚せい剤は、「四八時間以内にその九〇パーセントが対外に排泄される。」というC証言を援用して、本件尿は、使用から三日を経過して採取されている上、量が少なく水による希釈の影響を受け易く、これから覚せい剤が検出されないこともあり得るという。確かに、被告人及びNの各供述によっても、被告人が容器に採取・提出した尿の量は、必ずしも多くはないが、近時の検査技術をもってすれば、これから覚せい剤を検出することが十分可能な量であったと思われる(Cは、二ミリリットルの尿から覚せい剤を検出したことがあるという。)。また、Cの言うとおり、覚せい剤の九〇パーセントが、体内への摂取後、四八時間以内に排泄されるにしても、摂取後三日目ころ排泄された尿中には、いまだかなりの覚せい剤が含有されていると一般に考えられている。しかも、A証言によれば、被告人は、本件当時覚せい剤を連日使用していたことになり、このような被告人が、Aのいうとおり、Bから入手した覚せい剤の半分(0.5グラム)を自ら所持していたとするならば、八月八日以降も当然これを使用したと考えるのが常識に合致するから、そうであるとすると、八月一一日の時点における被告人の尿中には、相当大量の覚せい剤が含有されていた筈であるということになる。

6 以上の理由により、A証言を前提とする限り、八月一一日の時点で採取された被告人の尿からは、当然覚せい剤が検出されて然るべきであると考えられ、右は、証拠上明らかな水による希釈によって結論が左右されるものとは考えられないから、結局、A証言は、右尿から覚せい剤が検出されなかったという客観的事実と明らかに矛盾・抵触するといわなければならない。

7 更に、八月一一日当時、被告人の腕部に新しい注射痕が存したか否かについて検討すると、これを肯定するG証言には、既に指摘した重大な疑問点があるばかりでなく、右は、その存在を立証すべき客観的証拠によって裏付けられていないという弱点を有する。覚せい剤事犯の捜査においては、被疑者の腕部に注射痕が存したか否かが重要な意味を持つことは常識である。そして、捜査官がこれを発見した場合には、通常、必ずその写真撮影をして証拠保全につとめていることは、当裁判所に顕著な事実であるが、同人は、当日真新しい注射痕を被告人の腕部に発見したとしながら、その写真を撮るなど証拠保全の措置に出ておらず、右措置に出なかったことについて何ら合理的な説明をすることができない。従って、このような重要な点について客観的証拠の裏付けを欠くG証言は、その意味でも問題であり、「当時、被告人の腕部に新しい注射痕はなかった」とする被告人の供述及びNの証言に照らし、信用性が高いとはいえない。

8 そうであるとすると、八月六日から八日にかけて、被告人とともに合計四回覚せい剤を注射したとするA証言は、この点(すなわち、その痕跡となる注射痕の存否の点)でも、客観的証拠による裏付けを欠き、むしろ証拠と抵触するものといわなければならない。

九  B証言の特徴について

1 Bは、Aのように、自己の刑責の軽減を意図して、被告人を事件に巻き込む危険性のある証人ではない。そして、その証言は、A証言のように、本件取引自体に関する部分が明らかに不合理であったり、客観的証拠に抵触したりするものではない。従って、右証言は、A証言と比べると、全体として信用性の高いものと考えてよい。

2 しかし、B証言については、さきにも一言したとおり、同人が、(1)捜査段階以来、被告人に対し激しい敵意を燃やしてきたこと、及び(2)本件当時、同人が覚せい剤の連用によるシャブぼけに近い状態にあって、記憶が定かでないという二点を公判廷で認めており、また、(3)その供述には、捜査段階以来顕著な変遷があるという別個の問題がある。もし、右(1)(2)の証言が虚偽のものでないとすると、同人は、公判廷において、意識的又は無意識的に、被告人に対し不利益な証言をしている疑いも生ずるから、その信用性の評価は、慎重にされなければならない。

一〇  Bの被告人に対する敵意の有無・程度

1 前記のとおり、Bは、八月八日に逮捕された当初から、自分が逮捕されたのは被告人が自分を警察に密告したためであると確信し、「甲を一緒にパクらせちゃえ。」という気持から、捜査官に対し、ことさら被告人に不利益な供述をしたものであり、公判段階においてもなお、逮捕されたのは被告人のせいだと思って、「少しは甲のことを怒っている。」旨明言している。

2 そして、Bの逮捕が、本件取引の直後ともいうべき二日後に行われたことに加え、同人は、以前、Eから、「甲に気をつけろ。」という手紙をもらったことがある旨証言していること(なお、右Eについても、平成元年五月の事件の際、被告人が逮捕されたあとで逮捕されたという経緯があるので、Eが被告人に不信感を持つことは十分あり得ることである。従って、Eから右のような手紙をもらったとするB証言は信用性が高いと考えられる。)などに照らすと、Bが被告人の密告によって逮捕されたと考え、被告人に激しい敵意を抱くに至るということは、ことの成行きとして自然であり、この点に関するB証言の信用性は高いと考えられるから、同人は、捜査段階において、被告人にことさら不利益な供述をしていた疑いがあるというべきである。

3 そして、同人が、被告人に対し、右のような激しい敵意を抱いたのが事実であるとすると、その影響は、特段の事情の変更のない公判段階においても、程度の差こそあれ、残存すると考えられるから、今でも被告人のことを少しは怒っているという同証言も首肯し得ると考えられる。

4 もっとも、Bは、公判段階において、捜査段階においてした被告人に不利益な供述のいくつかを訂正するに至っており、そのことからすると、証言当時の同人の被告人に対する敵意は、捜査段階のそれと比べかなり和らいでいることが窺われるが、それはそれとして、右証言の中に、捜査段階における供述の影響が残存していないか否かについて、慎重な検討が必要となろう。

一一  Bの記憶保持能力について

1 Bの「当時はシャブぼけに近い状態であったので、記憶も定かでない。」という証言は、証拠上窺われる同人の覚せい剤とのかかわり方等からみて不自然ではなく、素直に納得し得るものであるが、証人尋問の過程で明らかにされた同人の捜査段階における供述内容からみると、いっそう首肯し得るというべきである。

2 従って、同証言の信用性の判断にあたっては、公判段階の証言の中に、もともと記憶が定かでない事項について、同人があたかも記憶を有するかのように装って、(あるいは同人自身そのように誤信して、)証言している部分がないかどうか、慎重に検討する必要がある。

一二  B供述の変遷について

1 弁護人が、最終弁論において詳細に指摘しているとおり(弁論要旨四三頁ないし四七頁)、Bの供述については、捜査段階以来、顕著な変遷のあることが特徴的である。

2 その代表的な例をいくつか指摘すると、

(1) Bが、当日被告人らと最初に会った場所・状況について、同人は、8.16付員面では、自宅アパートに訪ねてきた被告人を部屋の中に入れたとき、「一万円くらい覚せい剤があるか。」と聞かれたとしていたのに対し、9.6付検面では、自宅アパートに訪ねてきた被告人と、玄関先で話したあと、内妻がうるさいので階段を下りてアパートの前へ行ったとするに至り、これが公判証言では、突如として、「スズカン・ボウル」店内で被告人と会い、「薬欲しい人がいる。」「一グラム二万円」という話が出たということになった。右の点については、A証言及び被告人の供述に照らし、Bの捜査段階の供述は明らかに誤りであると認めるほかないが、本件取引のわずか二日後に逮捕されたBが、記憶の最も新鮮な捜査段階において、右のような明らかに事実に反すると思われる供述をした理由について、同人は、結局、何らの説明もすることができなかった。従って、右の点については、Bが、シャブぼけで記憶が定かでなかったのに、被告人に対する敵意に基づいて適当に供述した結果であると考える余地が十分にあるというべきである。そうであるとすると、同人が、日時の経過とともに記憶を回復したという確証もないから、同人は、公判廷においても、確実な記憶がないまま、その後得た周囲からの情報に基づき、適当に証言している疑いがないとはいえず、右証言については、その意味で疑いを容れる余地がある。

(2) 覚せい剤の値段について、Bは、捜査段階では、一グラム一万円と供述していた(第四回公判調書速記録一〇一丁裏)。公判段階では、当初検察官の主尋問に対し、「一グラム二万円で売ってくれ。」と被告人に言われた旨証言したが(同七三丁)、弁護人の反対尋問を受けるや、「一グラム二万円という話は出たと思うが、ちょっとわからない。」とその証言を変更した(同一〇二丁裏)。覚せい剤の取引における最も重要な価格の点に関し、B証言が何故にこのように揺れ動くのかについては、その理由がやはり明らかにされておらず、この点も、同人の証言が確実な記憶に基づくものではないのではないかとの疑いと結びつくものというべきである。

(3) 代金の一部を被告人から受け取ったか否かについて、Bの8.16付員面では、「約一グラムを入れて甲に渡すと、甲はこれを受け取り若い男に渡し、甲が一万円を私に渡した。」とされていたのが、9.6付員面及び検面では、「甲にパケを渡すと甲がすぐに一万円を渡したと話したのは勘ちがいで、一万円は、私が眼鏡のパリーミキ前でチーコらに電話して、甲らと一緒に兄弟分(R)の家に向かう途中、組の事務所に着くまでの車の中で甲から受け取った」こととされ、更に公判証言では、当日被告人から一万円もらったというのは勘ちがいで、実際にはもらっていないとするに至った。同人は公判廷において、捜査段階において自己が勘ちがいをした理由について、一応合理的と思われる理由を説明しているから(第四回公判調書速記録一〇三丁)、右の点については、ともかく自分なりに記憶を喚起して証言したものと認めてよいと思われるが、逆に右のような重要な点について、同人が捜査段階で大きな思いちがいをし、しかも、取調べの都度、その情景をもっともらしく説明してきたということは、同人が公判廷でもっともらしく証言している事実の中に、思いちがいで客観的事実にに反するものが含まれている可能性があることを示唆するものといえよう。

(4) Aと被告人が覚せい剤を使用するのを目撃したか否かについても、Bの供述は揺れ動く。すなわち、同人の9.6付員面では、「Aは自ら注射し、その後、被告人にも注射してやった。」とされていたのが、9.19付員面では、「今までAが被告人に注射したと言ってきたのは嘘であり、被告人に注射してやったのは自分である。」とされ、更に、公判段階における証言では、「Aが覚せい剤水溶液を作るところまでは見ているが、それから先は目撃していない。」とされるに至った。右供述の変遷の理由に関するBの公判廷での弁明の趣旨は、いまひとつ明らかではないが、要するに、同人は、「当初、被告人に注射した事実を容易に認めなかったところ、警察官に追及されてAが注射したと認めることとなり、最後は、あとから逮捕されたAの供述に基づき追及されて、結局、自分が被告人に注射したことを認めるに至った。」との点を強調しているやに窺われる(速記録一一八丁ないし一二一丁)のであって、同人の証言する右取調べの経緯は、既に詳細に指摘した本件の特異な捜査経過に照らし、必ずしも不合理ではない。そして、同人に対する取調べの経緯及び同人の供述の経過が、右に摘録したとおりであるとすると、同人の供述の変遷の理由も、一応合理的に理解することができるのであって、同人の員面・検面の記載にかかわらず、同人は、被告人に注射したことがなく、被告人が注射しているのを見たこともないという公判証言が、同人の記憶に最も忠実な供述であると考える余地は十分にあるというべきである。

一三 B・A証言の信用性に関する結論

1  以上詳細に述べてきたところから明らかなとおり、まず、B・A証言は、重要な点について相互に矛盾・対立するばかりでなく、特にA証言については、(1)内容に不合理・不可解な部分が多く、(2)不明確であったり捜査段階以来変遷している点も少なくない上、(3)客観的証拠との矛盾・抵触ないし裏付けの欠如も顕著であって、(4)結局、同人は、自己の刑責の軽減を図るため、犯行の主要部分を被告人に押しつけようとしているのではないかとの疑いが強いと認められるので、これに高度の信用性があると認めることはできない。他方、B証言は、A証言と比べると、内容的に不合理な点が少なく、比較的率直なものと認められるが、(1)同人は、捜査段階において、被告人に激しい敵意を燃やし、シャブぼけで記憶が定かでない事項につき、意図的に被告人に不利益な事実を供述したものではないかと疑われ、(2)現に、その供述には、捜査段階以来、重要な事項についての変遷のあとが顕著であるから、同人が公判廷で証言する事項についても、直ちにこれが全面的に信用し得るものと考えるのは危険であるといわなければならない。

一四  被告人の公判供述の問題点

1 被告人の公判供述の概要は、前記三に摘録したが、要するに、自分は、Aに頼まれて同人をB方に案内したりしたことはあるが、自ら覚せい剤を買い受けたり、車中で買受けの話をAとしたことは一切なく、Bに会うまでは、Aが覚せい剤を買うつもりであることすら知らなかった、というものである。

2 右供述中、当日Aとともにした行動の概略に関する部分は、A証言とよく似た内容であるが、同人との会話の内容、行動を共にした目的、買受け現場における具体的行動等について、A証言とはもとより、B証言とも大きくそごしている。

3 ところで、右のように、事件関係者三名の供述が互いにくいちがい、そのうち、B・A証言の信用性に、前記のとおり重大な問題があることになると、被告人の供述の比重が増してくることは、やむを得ないことであり、右三名の供述のくいちがう場面等については、基本的に被告人の供述を前提として事実を認定すべきことになるが、当時被告人が置かれていた前記のような特異な立場にかんがみると、右供述中特に主観的側面に関する部分については、それが、証拠上明らかな客観的事実ないし当日の行動に照らし、不合理でないかどうかの検討が、必要不可欠となる。

第七  具体的事実認定及び共同譲受罪の成否

1  そこで、以下においては、これまでの検討結果を前提として、本件当日の被告人らの行動及び訴因事実たる共同譲受罪の成否について検討する。

2 前記のとおり、被告人がAと同道して、当初B方へ、続いて「スズカン・ボウル」へ赴き、同所でBを発見し、その後、同人とともに同人方へ赴いたこと、そして、当日、同人方において、同人から覚せい剤約一グラムが、A若しくは被告人又は右両名に対し有償で譲渡されたことの二点は、証拠上極めて明らかなところである。しかし、B方へ赴くに至った理由、行きの車中での被告人との会話及びB方での取引の経過等に関するA証言について、重大な疑問があることは、前述のとおりであり、また、覚せい剤を一旦被告人が受け取った上Aに渡したとするB証言にも疑いを容れる余地がある。従って、本件覚せい剤の取引は、現実には、BとAの間で行われたにすぎなかったのではないかとの合理的疑いを容れる余地があるというべきであって、本件共同譲受けの訴因につき被告人を有罪と認めることはできない。

3  これに対して、検察官は、(1)被告人が、覚せい剤の入手先であるBと面識のないAを、覚せい剤入手のためB方へ同道した、(2)覚せい剤をツケで購入し、代金は折半の約束であった、(3)覚せい剤自体も両名で分け合って使用しているなどと指摘し、これらの事実によれば、被告人が覚せい剤をAと共同で譲り受けたと認められ、かりに実行共同正犯が成立しないとしても、共謀による譲受けの責任を負うべきであると主張する。

4 しかし、検察官指摘の各事実中、(2)(3)の点は、前記のとおり、証拠上いずれもこれを肯認し得ないのであって、(1)の点だけでは、たとえこれに、「『スズカン・ボウル』で、被告人からAが覚せい剤を欲しがっていると言われた。」とのB証言(なお、右B証言自体が、信用できるかどうかも、問題である。)及び証拠上明らかな八月七、八両日の被告人の行動(前記第六、二8ないし10参照)を併せても、これによって、被告人が、本件覚せい剤の譲受けを、Aと共同して実行したと認め得ないことは明らかであり、右譲受けにつき、共謀共同正犯の成立を認めるのも無理である。

5  従って、本件共同譲受けの訴因に関する当裁判所の前記結論は、検察官の右主張によって、何ら左右されない。

第八  幇助罪の成否

1  検察官は、論告中において、「百歩譲っても」本件については、譲受の幇助罪が成立することは明らかである旨主張したが、これに対し、弁護人は、最終弁論において、被告人は、AをBに引き合わせるまで、「AがBから覚せい剤を買おうと思っていることを知らなかった」から、被告人には幇助の意思がなく、幇助罪の成立を認めることはできないと主張しているので、以下、幇助罪の成否について検討する。

2 ところで、これまで検討したところによれば、本件においては、(1)被告人が、AをB方へ案内した上、更に、「スズカン・ボウル」で両名を事実上引き合わせていること、(2)Aは、その直後に、B方において、覚せい剤約一グラムを有償で譲り受けたこと、(3)Aは、それまでBと何ら面識がなかったので、被告人が両名を引き合わせなければ、Bから覚せい剤を譲り受けることはできなかったことなどの事実は、証拠上十分認定し得るところであり、これによると、被告人が、客観的にみて、AのBからの覚せい剤譲受け行為を容易にする行為(すなわち、幇助行為)を行ったこと自体は、否定すべくもないところである。

3  従って、幇助罪の成否は、被告人が、AをBに引き合わせる際、Aの意図(すなわち、Bから覚せい剤を譲り受けようとしていること)を認識・認容していたか否かの点にかかるので(右認識・認容があれば、幇助の意思は、事実上推定されると考えてよい。)、以下、この点について検討する。

4 ところで、証拠によると、次の各事実は、極めて明らかであると認められる。すなわち、それは、(1)被告人は、当時、覚せい剤取締法違反罪で、二度目の保護観察付き執行猶予の判決を言い渡されて釈放された直後(約一月後)の身であったこと、(2)被告人は、Bが覚せい剤の密売人であることを、Dとの同棲時代の経験で、よく知っていたこと、(3)被告人は、Aとは、これまでほとんど付合いがなく、本件前日、初めて親しく口をきいたにすぎないこと、(4)被告人は、本件当日、右AからB方への案内方を頼まれるや、一旦はことわったものの、更に頼まれてこれに応じ、台風の影響による荒天の中を、同人の車に同乗して、同人をB方へ案内していること、(5)B方に到着するまでには一時間以上の時間があり、車内において、被告人がAのB方訪問の目的を聞くことは、十分可能であったこと、(6)「スズカン・ボウル」において、事実上AをBに引き合わせ、被告人がAの覚せい剤の入手目的を確実に知ったのちにおいても、被告人は、右両名と行動を共にしていること、(7)しかも、被告人は、「○ハイツ」前でBが一旦下車した際、Aと二人だけで、三〇分位車内で時を過ごしたが(被告人供述第一三回公判調書速記録六四九丁)、その際もAを何ら難詰していないこと、(8)Bが「○ハイツ」前で覚せい剤を入手したことを知ったあと、被告人は、B方において覚せい剤の取引が行われることを予測しながら、促されるまま、AとともにB方四畳半間に上り込み、右取引の現場に同席していること、(9)被告人は、翌七日、BからAへの連絡方を頼まれるや、それが、前日の取引にかかる覚せい剤の代金回収のためであることを知りながら、右依頼に応じてAを探し、その後、Bと一緒になって探索したりもしていること、(10)翌翌八日、被告人は、B方へ代金の支払いに行くというAに頼まれ、同人とともに、B方へ赴いたことなどの事実であって、これらの点については、被告人も、これを争っていないところ、これらの事実は、被告人がAをB方へ案内し、「スズカン・ボウル」でBと引き合わせた際、Aの覚せい剤入手目的を認識・認容していたとの事実を強く推認させるものといわなければならない。現に、被告人自身ですら、公判廷において、Aの依頼によりB方へ赴くにあたり、「覚せい剤のことではないかという考えがあったのではないか。」と追及され、「やっぱり少しはそういうのはありました。」(第一二回公判調書速記録六二七丁裏)、「ちょっとはあったと思います。」(第一五回公判調書供述部分―記録七〇九丁―)などとも供述し、Aの覚せい剤入手目的の知情の点を、完全には否定し切れないでいるのである。

5  もっとも、右の点につき、被告人は、それにもかかわらずAを案内したのは、「どんな用事って聞いたら、ちょっとと言っていましたので、それ以上聞きませんでした。」「違うんだろうなと自分で納得したと思います。」などと供述して(前同丁)、あくまで幇助の意思を否定するのであるが、前記4(1)のとおり、被告人は、当時、覚せい剤事犯とのかかわりを持ったことが発覚すれば、到底実刑を免れ難い絶体絶命の瀬戸際に立たされていたのであるから、真実、覚せい剤事犯とのかかわりを持ちたくないと考えていたのであれば、当然、同人にその目的を明確にするよう求め、その目的が覚せい剤とは無関係であることを確認できない限り、同行を拒否するのが当然であり、覚せい剤の密売人であるB方への案内を、さして親しくもないAに頼まれた際、その目的について「ちょっと」と言って言葉をにごした同人の態度を疑うことなく、「自分で納得し」て右依頼に応じたというのは、いかにしても肯けない。

6  また、もし被告人が、本当に覚せい剤とのかかわりを持ちたくないと考え、Aの目的もそれとは関係のないものであると信じていたのであるとすれば、「スズカン・ボウル」で同人の真の目的を確実に知ったあと、なぜそのことを事前に告げなかったかと同人を難詰して然るべきであり、その機会も十分にあった筈であるのに、被告人は、何らそのような行動に出ておらず、あまつさえ、覚せい剤取引が行われるとわかっているB方に上り込んでこれに同席し、翌日以降も、BやAに頼まれるや、前記4(9)(10)記載のとおり、同人らの期待する行動をとっているのである。

7 これらの行動は、弁護人の強調する、被告人の「頼まれるとそっけなく断れない」「あまり後先のことを考えない」「寂しがりや」の性格(弁論要旨八六頁。なお、被告人が、このような性格を有することは、被告人の当公判廷における供述内容、供述態度等に照らし、十分これを窺うことができる。)を考慮に容れても、被告人がAの目的を事前に知らなかったことを前提としては、到底これを合理的に理解することができず、結局、被告人は、AがBから覚せい剤を入手しようとしていることを知りながら、持ち前の「頼まれるとそっけなく断れない」気の好い性格から、これを容易にする意思で安易に引き受け、AをB方に案内した上、「スズカン・ボウル」で両名を引き合わせるなどし、Aの覚せい剤入手を容易にさせて幇助したと認めるほかはない。

8  なお、本件において、検察官は、覚せい剤の共同譲受けの訴因しか掲げていないので、訴因変更手続を経由しないまま、幇助の事実を認定することができるかどうかにつき、法律上問題がないわけではない。なぜなら、訴因に掲げられた共同譲受けの事実と、当裁判所が認定した譲受け幇助罪の事実とは、犯行の日時・場所・方法が厳密には一致せず、また、いわゆる「大は小を兼ねる」関係にもないので、訴因変更の要否に関する講学上の事実記載説及び抽象的防禦説を忠実に貫く限り、幇助の事実を認定するためには、訴因変更手続が必要であるとの見解も成立し得ると思われるからである。

9 しかし、周知のとおり、最高裁判所の判例は、訴因変更の要否に関し、抽象的防禦説を貫くことなく、具体的防禦説的考慮を相当程度取り入れており、現に、共同正犯の訴因に対し幇助罪を認定するのには、訴因変更手続を要しないとした判例も、相当数集積されている。

10 そして、本件において、当裁判所が認定した幇助行為は、その日時・場所が譲受け行為のそれに接着しているもので、検察官も、「犯行に至る経緯」としてではあるが、冒頭陳述中でこれを明確に主張しているところ、被告人・弁護人も、被告人が、客観的に、右幇助行為にあたる行為をしたこと自体は、これを争っていない。他方、右行為に及んだ際の被告人の主観的意図(幇助の意思)は、共謀の主張の中に包含されていると認められ、被告人側は、共同譲受けの訴因事実を争う過程において、被告人が当時、幇助の意思すら有していなかったという観点からの反証を尽くしており、従って、本件においては、幇助罪の成否に関し、その客観面についてはもとより主観面についても、立証上の防禦が十分尽くされていると認められ、しかも、右の点は、論告・弁論において、明示的に弁論の対象ともされているのである。右のとおり、共同譲受けの訴因事実の審理の過程において、幇助行為及び幇助の意思の存否に関する十分な主張・立証が尽くされている本件事実関係のもとにおいては、訴因変更手続を経ることなく幇助罪を認定しても、被告人に何らの不意打ちを与えるものではない。従って、本件において、幇助の限度で有罪の立証がされている以上、訴因変更の手続を経ていないというだけで、同罪の認定を拒否するわけにはいかない(ちなみに、弁護人は、最終弁論において、検察官が論告においてした幇助罪の主張を明確に意識した上で無罪の弁論をしたが、訴因変更手続を経由せずして幇助罪を認定することが許されないとの主張は全くしておらず、当裁判所の求釈明に対しても、幇助罪が成立しないと考える根拠は、右弁論で述べたとおり、被告人には幇助の意思すらなかったからである旨答弁するに止まっている。もっとも、被告人の行為が、前記認定の程度の幇助罪を構成するに止まるものであることが、捜査段階において明らかにされていたとすれば、果たして、起訴価値があったのであろうかとの疑問は残る。また、かりに起訴されたにしても、単なる幇助罪の訴因であれば、審理がこれ程紛糾することもなく、早期の保釈も当然認められたと思われる。従って、これらの点は、本件の量刑―未決勾留日数の算入を含む―を決する上で、十分考慮される必要がある。)。

第九  総括

1  以上のとおり、当裁判所は、検察官が訴因に掲げる覚せい剤の共同譲受けの事実については、被告人を有罪と認めることはできないが、被告人は、判示認定の幇助罪の限度で、なお有罪認定を免れないと考えるものである。

2  本件が、わずか一回の覚せい剤譲受けに関する、本来は極めて単純な事案の筈であるのに、起訴後結審までに一年三月の長期間と一八回に及ぶ多数の公判期日を必要としたのは、前記第三、第五において指摘したように、本件捜査・公判を通じ、捜査官側に多くの違法・不当な(又はその疑いの強い)行為が存したことによると認められる。そして、右行為の中には、警察官による被告人に有利な証拠の破棄・隠匿と疑われる行為とか、右事実の存否に関する検察官への虚偽報告、作成し直した捜査報告書への虚偽事実の記載、更には、これらの事実が発覚したのちにおける公判廷における偽証と疑われる証言など、到底黙視し難いものが含まれている。

3  これらの警察官の違法な(又は違法と疑われる)行為は、もちろん、本来、あってはならないものである。そして、かりに万一警察段階でこれらの違法が一部行われても検察官の取調べの段階で、被告人の弁解に謙虚に耳を傾けて慎重な捜査を遂げていれば、右違法を早期に発見し適切な是正措置を講ずることが可能であったと思われる。しかるに、本件においては、検察官も、被告人の弁解を頭から虚偽と断じて相手にせず、警察官の違法行為を見抜けないまま、信用性に多大な疑問のあるAとBの供述を盲信して、本件公訴を提起してしまったのである。

4  のみならず、検察官は、公判段階において、当裁判所から、九月一日の採尿・鑑定嘱託の存否の釈明を求められた際にも、ただ警察官の虚偽報告を真に受けてこれをそのまま公判廷へ取り次ぐだけで、少し考えればたちまち明らかになる筈の右報告の不自然性(本件の捜査経過を前提とすれば、上尾署が、覚せい剤譲受け罪で逮捕した被告人から、逮捕直後に採尿しないということは、常識的に考えられないことである。)を見抜くことができず、それ以上の追及を怠ったもので、この点も、公判審理を紛糾させる重要な一因となったというべきである。

5  覚せい剤事犯の撲滅は、確かに喫緊の急務ではあるが、そのための捜査は、あくまで適正に行われなければならない。本件の捜査・公判の各経過は、この種事犯の捜査において、捜査の行きすぎが生じ易いことを示唆するとともに、準司法機関としての検察官の役割の重要性を指摘して余りあるものというべきである。

6  当裁判所が認定した被告人の幇助行為は、Aの依頼に対し、持ち前の「頼まれると嫌と言えない」気の好い性格から、同人の覚せい剤入手目的を知りながら、これを容易にさせる意思で、同人をB方へ案内し、「スズカン・ボウル」で両名を引き合わせたというものにすぎず、必ずしも悪質・重大という評価の妥当するものではない。もっとも、たびたびくり返したように、被告人のような立場にある者が二重の保護観察付き執行猶予期間中に、またも覚せい剤事犯者とのかかわりを持ったということは、いかに弁疏しても軽率のそしりを免れないものであり、それ相応の処罰(主文記載の程度の懲役刑)を受けることは、やむを得ないけれども、捜査官側が、このような比較的軽微な犯罪を摘発するために、前記のような重大な違法(又はその疑いの強い)行為を重ねたことは、誠に遺憾である。被告人に対し、本有罪判決が確定した場合、未決勾留日数の算入により、主文記載の本刑について服役する必要はなくなるものの、前刑及び前前刑の各執行猶予が取り消され、被告人が、いずれにしても相当期間の服役を免れないことを考えると、本件において行われた捜査官側の違法行為が不問に付されることは、いかにしても片手落ちである。従って、右の点については、検察当局の手で厳正な捜査が行われ、その責任が明らかにされる必要がある。それは、本件の捜査・公判の過程を通じ、警察官の違法を見抜けなかった検察官の最低限度の責務であり、また、司法に対する国民の信頼をつなぎ止める唯一の手段でもあるというべきであろう。

よって、主文のとおり判決する(求刑 懲役一年六月)。

(裁判官木谷明)

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